さらざんまい 第6皿目 つながりたいから諦めない

自己犠牲なんて言葉、大嫌いだ!!今までも、そしてこれからも、欲望は手放さない!自分可哀想、自分のおかげでみんな幸せだろ?なんてエンディングじゃねーんだよ!!お前ら、よく見ろ!じこぎせ(ry なんて言ったこたぁねーんだよ!ラストは、愛してんだよ!愛してるだよ!しかも輝いて、ユリ熊嵐なんだよ!ジコギセイとかいう言葉で、思考停止されちゃたまんねーわ!

…という、叫びの聞こえる6話でした…w

少々暴言気味ですが。あくまでも個人的感想です。美しさの中には醜さもあり、それをどう消化するのか?と言うのが大事なのであって、誰かの為に自分は犠牲になりまっせなんていらねーんだよ。その人が笑っていて欲しい、存在していて欲しいという願いは欲望なんだからなっ!みたいな事を思いました。

 

今回は前半盛場ということで、ながーくなりそうな予感もしますので、気になったシーンのピックアップ中心に。

 

 

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アバンでは、なんと!前回と引き続きラッキーアイテムが『サシェ

カパゾンビが倒せませんでしたので、そのままの様です。サラちゃん、私関係ないでぃっしゅ♪とは、もう言えない状況に。間違いなくあなた、レオとマブにつながってませんか?という疑惑が限りなく黒になってまいりました。

前回との違いは時刻で、上の画像は5話の使いまわしです。6話では7:55でした。

 

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サラちゃんから、一稀が落としたヘッドドレスを受け取る春河。大丈夫。これで春河と本物サラちゃんは、きっと繋がれました。ここがどう後々利いてくるのか。

というか、帝子さん声優初挑戦らしいのですが、ただの「うん」が、とても上手!監督の手腕なのか、帝子さんの天性なのか。簡単な一言だからこそ、キャラの特性が出てきます。吐息やため息。こういうものにこそ、様々なキャラの心境や性格がでると思います。このシーンのサラちゃんのなんて事のない「うん」 とってもよかった!裏MVPレベルで凄く凄くよかったです。私はここがとても印象に残りました。

 

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一稀、きもい!!!!!! あれ?なんかでてる?きゅうりだよっ!

悠「ついにオカしくなったか」

多分、元々です。

 

 

 

 

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何かを彷彿としますよね?イクニストなら、いわずもがな。ですので細かい説明は省きます。素晴らしいw

にしても、河童(イケメン)一稀(ほぼ燕太の妄想、いつものやつね。わかってる)からの、指パッチンからの夢じゃない?!な流れ。ややこしいw現実でも妄想でもいいんです。見てる側も、現実なのか妄想なのか既にわからないw

 

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ですが、ここの一連の相撲やりとり、非常に面白いです。

まず燕太が先に「いつもの妄想だよね」と提示してきます。これが現実か否かというのは横において、燕太が妄想だと思うということは、燕太が望んでいる状態である。というのがわかります。

まあるい円は土俵。その中に、一稀・悠・燕太と居ます。一稀と燕太は同じ格好・マワシ姿です。悠はその土俵を整える係。ですので、同じ円の中にいながらも、メインは一稀と燕太であり、悠はその手助けや補助をしているという形が構成されています。

燕太にとってはこの形がベストな状態であり、円の中にいるのですから、3人は仲間ではあるけれども、一稀&燕太という形とその補助として悠がいる。でなければいけないということを示唆されています。円の中の仲良し「三人組」じゃ駄目。三人組の中でも、順位付けが無ければいけない。勿論、燕太の想いを加味すれば。ですが。一方、一稀と悠は、そんな事は思ってもいないでしょう。

ここは、この先とても大事になると思うのです。

 

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今まで、アサクササラテレビで街の情報的なものは、放送されてなかったと思います。ラッキーアイテムか、殺人事件のニュースか。なのにここに来て、いきなりの人形焼き情報。

 

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ポールダーンス♪ 

 

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燕太の妄想。

一「関係…大有りだ!」からの、お前のハートに…ミラクルシュート!

河童の応援団。一稀ラブ的なものはあります。燕太の応援は無し。

 

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「悪い子、だぁーれだ」

レオがとうとう現れました。マブに対して、なにやら含みのある言い方をします。何を裏切り続けているのか、非常に気になります。感情が抜け落ちた人形。カワウソ側の傀儡と言う事なのか。

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アサクササラテレビ情報ですと、新フレーバーな人形焼き。亀の形なのも気になる所。

Twitterでも、人形焼の呟きは非常に多かった。しかもマブがいつも自作していました。レオもマブの事を「感情をなくした人形」と言っている点、メンテナンス関連発言、ソイヤのマブの心臓が機械、この3つを併せただけでも、マブは死んでるんじゃないの?と思わざるを得ません。

 

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攫われる春河。お姫様抱っこです。

 

春河が居ないことに気づく、一稀・悠・燕太

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ケッピ電話。じりりりりりっ!じりりりりりっ!

「うわ!きもちわるい!」「なんなんだよ…」

「矢逆春河が、帝国軍にさらわれました…ケロ」

ここで初めて、カワウソ帝国の存在をケッピが話しました。どうやら河童の敵のようです。

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今回のCM前アイテムは「ヘッドドレス」でした。いつもここに来るアイテムは、カパゾンビの欲望対象ですので、もしも春河がカパゾンビになった場合、空を飛んでいたのはヘッドドレスなのでしょうか?

このヘッドドレスは、物凄く気になります。一稀が落としたものにしろ、ずっと持っている春河。サラからもらったのも気になります。何もなければ、このCM前にわざわざアイテムとして書かない気もしますし。河童状態になった一稀も、1話と6話で皿が頭から離れます。コメディータッチで描かれてますから、驚愕の表れとしてそうなってるのかな?とは思っていたのですが、ココまで来ると気になる。なんてことのない、別段気にすることもないものかもしれませんが、人と河童は元は同じなのかな?とまで思えてきたり(さらざんまいという世界の中で)実際、河童の伝記などを読んでいたら、不穏な事を色々と書かれていました。水○体だとか、様々です。プラス春河のヘアスタイル。あれのせいで最初は妹だと思いました。ちょんまげなんてしてるから。でもアノ髪型の下、本当は皿があったら?だからといって、春河が河童という訳ではありません。河童も人も元は同じ。生まれたての春河は、赤ちゃん帽を被っていました。ですので皿の有無はわかりません。どちらにしろ、ヘッドドレス非常に気になります。

 

 

春河奪還の為に、隅田川に潜るケッピと3匹。壁面に絵が。

https://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/CortazziU40.jpg

歌川国明「大相撲組取之図」

どうやら、さらざんまいに出てくる浮世絵的なものは、歌川派の絵が使われている様に思います。

 

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いきなりな、エジプトの壁画。キトラじゃないんだ!なぜエジプト…。そういえば、ソイヤーは、てっきりパラパラ風な一世風靡だと思ってましたが、まさかのベリーダンス系?!いや、キングタット的な?マイケルジャクソン?なんか、レオとマブが高度なダンス踊ってるなーってのは、凄くわかりました。

 

カワウソ側のアジトに無事潜入。

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こどもブロイラー的な。吾妻橋の街灯が、逆さまなデザインのアーム。UFOキャッチャーのような感じもします。

 

ここからは、熱血冒険物語によくある熱い展開。俺に構わずに先に行け!大丈夫、俺ならすぐ追いつくぜ!

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お前『は』まだ、取り戻せる!だから走れ!

とてもとても気になる台詞でした。悠は取り戻せないのか?

 

このあと、間に合わずに穴の下に春河の箱はおちていってしまいます。ケッピが提案したのは「尻子玉」の移植でした。そんな事できるの?!新たなルールの追加です。一稀は、自分の尻子玉を移植してほしいと、願いました。ですが、悠がそれをあのピストルで止めます。持ち歩いていた模様。

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胸糞悪いこと言ってる暇があったら、他の方法を考えろ!

熱い展開が続いています。何気にエヴァ臭がしてまいります。

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ここで、燕太が春河から預かったミサンガが、一稀の手元に戻ります。

 

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判定:愛 で、春河の箱は戻されました。

クロケッピシステムが気になる所。

 

 

このあと、サンダーバードよろしく、3人はそれぞれの穴に入り、滑っていきます。回想も入り、春河からのメッセージが流れます。泣ける展開です。

 

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春河が、一稀の実母が持っていたサシェをなぜ、持っていたのか?という謎はここで解けます。春河は春河なりに必死だったのでしょうね。

 

そして、なんだかんだで熱い展開も、盛り上がってサシェゾンビ戦は、超スキップで倒します。

ゴールデンコンビ的パスもできて、無事に3匹から3人に戻れました。よかったよかった!と思いきや。6話のメインは、まだ残っていました!

 

そう、今回の大盛り上がりはCパート!何この展開。いや、薄っすらとそうじゃないのかな?とは思いつつ、実際目にすると「えー?!」となりました。

 

私的メインはCパート。

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キャー!と、河童さんたちが逃げています。惨状なのに、河童カワイイ。

浅草十二階が見えています。ここにも、国芳がたくさん。スカイツリーでは?!と一時騒がれた櫓。浅草十二階の後ろにある月。これを月とするならば…ですが。東都名所の新吉原の絵。朧月を、まあるい円で描いた国芳国芳の作風はとても斬新でアバンギャルド。ダイナミックな中にも、繊細さがあり、独特の世界観があります。

逃げ惑う河童たち。橋の向こう側には、ビルらしき建物も見えます。時代がいつごろなのか、謎が深まります。

 

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見た感じ、浅草十二階のてっぺんあたりでしょうか。ケッピ?の人間型のような人物が映ります。が、黒く影っていて、全容はわかりません。ちらっと映ったのは髪は緑色。西園寺風。まさかの海草×からのワカメ。

「欲望が割れるー!!」と叫んでいます。欲望が割れるとは。どんなに貪欲でも、割れて表に出てくるって、どういう状況なのでしょうか。

そしてとうとう、割れた欲望が外にでてきました。

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ダダダダダークネス!!!凄い決め台詞。ダダダダダークネス!

声が、なんとなく「ウッソー」に、似ていたような、そうでないような…。

もし、ダークネスがウッソーだとしたら。大変です。どういうこと!判定:愛のときに、クロケッピシステムとありましたから、多分ダークネスは最低でも、判定機に大いに関係あるはず。そしてそれは、カワウソのアジトにありました。ケッピは無関係ですケロ。という言い訳も通用しません。ポールダンスなケッピは、その事を知っているのか、知らないのか。様々な変化も今回披露してくれました。ですので、カワウソ形態になることも、人間形態になることも、可能だとは思います。

 

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見つけた!!と、ケッピの間に入ってきたレオとマブ。ですが、ダークネスが現れた衝撃で、建物が崩壊寸前。マブがレオをかばいます。

ここのやり取り。非常に興味深い。

「何で…お前が俺をかばうんだ!」

「欲望を手放すな。未来は、欲望を繋ぐものだけが、手に出来る」

「マブーーーー!!!」

 

どういうことでしょう…。多分ここで、マブは命を落としています。死に際の台詞も意味深ですが、レオの台詞も少々不可解です。

 

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ダークネスが飛び出した後、シタッパーズとカワウッソーゴジラみたいなのが、暴れています。本当どういうこと…。6話のCパート、謎過ぎて謎過ぎて。だいたい、月らしき青い丸に影がうつるってどういうことなのか。月じゃないということ?シタッパーズが暴れているということは、何かしらの欲望を収集しているということ?そもそも、でかいゴジラ形態のカワウソは何なの?十二階に取り残された、ケッピワカメバージョンと、レオ・マブはどうなったのでしょう?もう、3人の熱血展開がぶっ飛ぶくらいに、凄いCパートでした。

 

このCパートは、7話まで待たなければ分からない点もたくさんあると思います。現時点で分かることは

○マブはおそらく命を落としている

○河童王国は、現浅草とは似て否なる場所

○ケッピから、欲望の塊が出て行った

○河童たちが追い出され、カワウソに占領された

○史実を併せると、関東大震災が彷彿とされる

まだあるかもですが、今のところはこんな感じです。

 

もうひとつ。ケッピは「希望の皿を作れる、唯一の存在」らしいです。Bパートの最後でも、レオがカワウソアジトに入ってきたケッピを見つけ

「見つけた!俺たちの希望」といっています。これは、皿を作れる存在であるケッピが必要だからなのか、他の目的があって、希望といっているのか。

ダークネスケッピと、ワカメケッピが分裂していますから、ひとつの個体に戻したら彼らにとって、何かしら希望に繋がることがあるのかもですし。何を指して希望としいるのかも、現時点ではわかりません。余りにも情報量の多いCパートで、頭が混乱している状態です。一稀・悠・燕太の事も気になりますが、それ以上に今回は、レオとマブに引っ張られてしまう回でもありました。ケッピも一体何者?なのでしょう。気になる!

 

 

さらざんまい 考察:アバン・アの謎

本来なら、6話の話題に行くところなのですが、前半の終了・後半のスタート回ということで、考察的な事をしてみようと思います。勿論、私の主観・妄想・戯言ですので、思い違いや見誤りも多々あるかと思います。

 

昨日、立ち位置から見えるモノとダラダラと書きました。最初のアバンのシーン。ココで気づくべきことに、気づいていませんでした。

※あくまでも個人的な感想・考察です。

 

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このシーン。とても意味があった様に思います。

右から左に向かって走る。これは未来へ走っている。ここまでは同じです。また、わざわざ隅田川の横を走ることで、この物語が川から連想されるもの、時間や時と密接に関係しているのかも?川がメインになるのか等と、想像できます。

(一稀の服が、家族おそろいのボーダーで無くグラデーションなのは、ボーダーにもなり切れない、だからといって無地にもなれない一稀の心の揺れの表れだと思います)

このあと

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紙なのか、また別の素材のものなのか、バーナーの様なものでジリジリと焼いていき、輪ができあがってきます。その下からは、方眼・カッターマットが見えています。反時計周りですので、過去に遡ろうとしているのがわかります。

少し順番が逆転しますが、ここで先に大量の「ア」が落ちてくるカットをあわせてみてみます。

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先ほどのジリジリと焼いて作っていたのは、この大量の「ア」だと思います。素材はどうやら鉄。形から、道路標識みたいなものだろうなと推測できます。ここで大事なのは、素材ではなくて大量にあること。「ア」のない街中の風景は、違和感がありませんでした。普段見慣れている日常風景です。道路標識もそう。どこにでもあるもので、生活の中でルールとして受け入れているものです。その標識を使い「ア」としている点。普段見慣れない記号ですので「何これ!」となりますが、それをあちらこちらにある標識で表している。という観点から考えると「ア」はどこにでもあるものだ。と言う事が見えてきます。

 

 

 

 

 

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そのあとに、映る一稀の足。ミサンガ。このミサンガも、とても重要なんだと言う事を示唆されます。

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このアバンではまだ、街の中に「ア」がありません。ですが、歩く人々がピクトグラム。しかも江戸風の髪型。

 

風に乗るように、右から左へむかって画面が移動し、「カズちゃーん」の声がします。今なら、春河の声だとわかります。

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桜の花びらの中、春河が走っています。

この声で、一稀が立ち止まります。そして、声のほうに振り向きますが、誰もおらず画面が揺れます。この画面の揺れで観ている側は、なにかしらの不安感や不穏な空気を感じます。

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ここで、昨日見誤った気がします。カメラの位置・映し方の角度が変わっています。画面の情報をそのまま受け止めますと、一稀は左から右に後ずさりしている事になります。ですので、過去に戻っている状態になるのです。

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そのあと、大きな「ア」が落ちてきます。主人公となる人物は、何かしらのきっかけや、アクシデントに合い、そこから様々な物語を紡いでいきます。ここでは落ちてきた「ア」がきっかけになります。きっかけとなるものは、ストーリー上大きな意味を持ちます。さらざんまいでは「ア」が、非常に大きな意味があるよ。とここで表されています。

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空にいきなり穴があきます。通常、空に穴が開くというのは考えられません。この時点で、この空にあいた奇妙な穴は異空間か、違う次元かもしれないと、考えます。そこから落ちてくるものですので、非現実的なものなんだろうな。となります。


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落ちてきた「ア」は、反時計周りでくるくる回りながら、まるで螺旋や螺子を思わせるような輪になり、一稀を通り過ぎていきます。ここは昨日も書きましたが、回るのですから、「ア」はループだったり、終わらないものだったり、循環しているのだろう事もわかります。まるで林檎の皮のように、1本で繋がっている様にも見えます。また、一稀に危害を加えるものでもなく、物理的に何かしら攻撃性のあるものでもない事もわかります。

 

一瞬映る、太鼓と河童のシール

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これは6話を見なければ、わかりませんでした。ケッピ曰く、カワウソに欲望を取られた事で、河童王国は滅亡した。との事でした。そうすると、太鼓は欲望を取る装置であり、そこに貼られたシールは、欲望を取られた河童たち。という構図だと思われます。ですので、目が×型であり、大事な頭の皿をカワウソマークに刺されて割れている図になるのだと思います。このシール型を、被害(?)にあった河童だと仮定すると、アは抽象的な何かではなく、具体的な物であると考えられます。河童はそのまま河童のイラストですからわかりやすいですが、わかりにくい「ア」になっている。「ア」が存在するのは、一稀たちのいる人間界。河童シールに置き換えますと、「ア」は被害にあって存在をなくした「人間」ということになります。

※ここからはかなり壮大な妄想になりますが。アが存在をなくした人間・死んだ人間だとするならば、一稀の体を通り抜けたアは誰?となります。一際大きなアです。一稀を弧を描きながら落ちていくア。循環しているア。命の繋がりや過去・循環と観たときに、このアは、一稀の実父なのかな?と思います。実母は出てきましたが、実父が出てきていません。養子にせざるを得ない状況があったとするならば、実父がもう、この世の人ではないと考えたほうが自然だと思います。

アバンから少々飛びますが

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尻子玉を取られたカパゾンビは、円から弾かれます。

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そして、違う円に取り込まれますが、これはトラッシュボックス的な、6話で言えばシュレッターの様なアを作る生成機のようなものと考えられます。

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そのあと

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「ア」が出現します。アが同じ場所に必ずあるのではなく、増えたりして見えてたのは、新しく生成されているからだと思います。カワウソマークからアになるのは、カパゾンビが消滅し、そのままアになってしまった。街に取り込まれ、ある意味透明の存在になってしまいました。もう誰も気にしません。との解釈が出来ます。

屋内にアがないのは、日常に溶け込んでいる風景の一部というのは、家庭それぞれで違います。学校でも同じです。学校独特のものはあるかもしれませんが、それは学校という空間の中での話ですから、街では浮いてしまう。街の中で埋もれたたくさんの人たち。街の中の風景は、老若男女誰しもが同じように見えている日常風景のはずです。見慣れている風景であり、多少変わっても誰も気にしません。だからこそ、日常に紛れた標識で表現されているのだと思います。

ですので、アと言う文字になにかしら「単語」としての意味があるのではなく、ア=カパゾンビの成れの果て。もしくは、判定:愛 でもアになってしまうかもしれません。判定で欲望だろうが、愛だろうが、カワウソ側に拉致された者はどちらにしろ「ア」になってしまう。もしくは、尻子玉を抜かれるとそうなる。銀の輪の中に「箱田」や「猫田」という固有名詞がありますが、それは何者にもなれなかった、存在の消えた「ア」になります。

個としての表現で「消えた人間=ア」

a boyやa girlのaであり、個体としてのa→アであると仮定できます。aのあとに続くものもないですので、ただの「a」→「ア」

 

ナレーションで、「この街では、消えたものは忘れ去られる。店も、建物も、人も。新しいもので上書きされる。誰もその事を気にもとめない」こう言っています。ですので、新しい「ア」が増えようと、上書きされようと、誰も気にしません。日常の風景の一部でしかありません。命のある人は、自分と関わりがなければピクトグラムです。それもまた風景の一部でしかありません。

(OPのKANA-BOON『まっさら』で歌われている『背景、まぎれから 透明街の角
消えそうな声で泣いている僕らよ 最低な夜から 這って抜けるように 千切れた痛みと共に行けよ』この部分「背景 紛れから」が意味がわかりませんでした。 ですが、アが成れの果てで、風景に紛れてしまった。同化してしまったと考えたら、詞の意味もなんとなくではありますが、わかってくる部分があります)

 

ここは、ウテナの頃から一貫している「原初の愛」的なものを感じます。誰とも繋がらなければ、愛の芽もありません。誰かと繋がるからこそ、自分が存在している確認をし、そこに居る証明とできます。人と人との関係性は、始まりがあれば終わりもあります。人には寿命がありますから。繋がれないとはまさに、始まりもなければ終わりも無い。無い無いづくし。誰とも繋がれない存在となり、透明な存在としてそこに居なければならなくなります。例え死んだとしても、誰かが覚えていてくれたら、記憶の中に居ることができれば、その人とその人は、繋がっているといえるのかもしれません。何者にもなれなかった人は、死んで消え行くだけ。まさに「死に損」です。

 

 

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水の上の一稀。水面に映る建物。そこにアが落ちていきます。上記の仮定で考えますと、たくさんの人の魂や思いの成れの果てが落ちてきているとも言えます。

 

このあと、目覚めてアバンが終わるのですが、このアバンで様々なことがわかります。

1、アが落ちてくるまでは、アの無い街であった事

 (アが落ちてきて、街にある消えた人々の思い等が可視化された)

2、一稀の足にはミサンガがある事

3、春河が走っている事

4、上から落ちてきたアは、水の中にさらに落ちていく事

5、カワウソ太鼓と、河童のシールは、過去の出来事を表したものである事

6、夢から覚める形で、このアバンが終わっている事

 

2、3,6の時点で、これは過去の夢を見ているのではないか?と、最初は思いました。そして、何かしらの事件があり、1の状態からアのある街になったのではないだろうかか?と。

ですが、アの現れ方をみていたら、どれもこれも「過去」に結びつく様に描かれている様に思えてきます。また6話で明かされた、河童王国の滅亡という過去。それも、カワウソの太鼓と河童のシールによって、アバンに組み込まれていました。

 

そこで考えられるのは、3パターン

①一番最初に走っている一稀は、過去の一稀ではなく、現在進行形・2019年の一稀であること。ミサンガや春河が走っている事で、春河の事故前の事だとばかり思い込んでいたとも言えます。実際、春河の姿は出てきてませんから、空耳的なものです。足元しか出てきていません。そして、目覚めた一稀をみると、まるでアバンの夢から覚めたようにみえます。が、その時の一稀がどんな夢をみていたのかは、言及されていません。アバンからの流れで、そう思えた・観えただけでしかありません。

もしかしたら、アが落ちてきたのを基点に、過去・2016年6月~7月あたりの出来事を観ているのではないか?

こう考えますと、色々と納得の行く点もあります。特に、Beeタワーや、浅草観音温泉の謎。でもこうなりますと、学校にある2019年版カレンダーの謎が浮かびます。

 

②走っている一稀はおよそ1年前、春河が事故を起こす前日(ここは劇中で名言されませんが、前後の脈絡からの推測です)具体的には実母にあった後・見送りに行く前の日の姿。回想的に夢で見ている形である。夢から覚めた一稀が、2019年の一稀。ですがこれですと、Beeタワー・観音温泉の謎が残ります。ここは劇中では壊れていない体なのか、作中でも現実と同じ扱いとしていいのか、非常に困惑する部分です。が、レオとマブのTwitterから考えますと、何かしらの意図があって出していると考えられますから、現実と同じように、今現在はBeeタワー・浅草観音温泉は取り壊されていると考えたほうが良いのでは?と思います。

 

③完全なる一稀の夢。時間軸は、2019年。アバンは完全な夢として扱い、そこで様々な情報を詰め込んでいる。

 

上記の中で、素直に受け止めるのであれば③だと思います。ですが、個人的には①であってほしいとは思います。①ならば、過去の出来事を乗り越えた状態の一稀です。完全に乗り越えたとはいわなくとも、足にミサンガがある状態ですので、6話とも繋がっていくと思います。もっと言えば、現実と同じ時間軸、6話が終わった直後の一稀である。こうとも捉えられる・そうだといいな的ではありますが。ですのでまだ話は先があり、また、完全に家族との繋がりを信じられる状態ではなく、服もグラデーションなのかもと思ってみたり。時間軸の謎は、もう少し見なければではありますが、どこかのポイントで、アバンに繋がる何かが必ず出てくると思います。

 

ここまで書きましたが、本当に思い込みや見誤りが多々あると思います。この先も、物語を観て、訂正・書き直しをしていきます。

 

スマホでいろんなアプリを使って、つながりが日常的になっている時代」と分析する幾原監督が、「つながりたいという欲求と、つながりがうっとおしいという気持ちが混在している。そのままつながっていたらどこに行くのか、つながりを失ったらどうなるのか、つながりが必要なのか必要じゃないのかを描いてみたかったんです」

幾原監督は、さらざんまいについてこう語られています。一話を視聴した時に、スマホSNSなどの繋がりかな?現代の問題点みたいなものが、テーマなのかな?と単純に思いました。勿論それもテーマのひとつだと思います。作中にも、それを思わせるシーンも多々ありますし、ツールとして不可欠になっています。ですが、重ねて観ていくにつれて、そんな表面的な事じゃないのではないか?と言う気がしてきています。私個人の感想でしかありませんが、ネットでの繋がり的なものは、ユリ熊嵐で描かれていたように思います。また同じものをメインテーマに持ってきて、上書きされるような事もなさらないと思いますし。ただ、根底のテーマは一貫して「原初の愛」なのではないでしょうか。その中で、今回のさらざんまいは、人と人との繋がり。もっと大きなテーマな気がします。SNSだけではなく、この世に生まれてから死ぬまで、人はどんな繋がりをもち、そのつながりで何を得て、何を失い、その先はどこへ行くのだろう?と言う様な。生を受けた瞬間に、母親とへその緒でつながります。外へ出たら、へその緒は切れてしまいますが、個人として様々な繋がりを経験していきます。5話、うまれたばかりの春河は、一稀の指を掴みました。ここで、一稀は春河との繋がりを始めたのです。まあるい円で、つながりました。悠も燕太も、玲央も真武も、皆繋がりをもっています。そのつながりは、そこに存在する者としてどう描かれていくのか、後半が楽しみです。

 

 

 

 

 

さらざんまい 登場人物の立ち位置から見えるモノ

とうとう今日!楽しみです。

毎日、何かしらぐだぐだでも書こうとは思うのですが、考えれば考えるほど泥沼ざんまいです。

 

待ちきれず、ひまひまひま~!ですので今日は、登場人物たちの立ち位置・進む方向の法則性について考えてみようかな?と思ってます。立ち位置というのは、立場と言う意味ではなく、画面から見える登場人物の位置です。少しながくなるかもしれませんが…。5話全部やりますと、かなり膨大になりますので1話をメインに、残り2~5話は気になるカットを中心にやっていこうと思います。

※あくまでも私個人の主観でしか無い事をご理解ください。

 

まず、エリアを2つに分けたいと思います。左と右。

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お約束ごとで、右から左に走るのは、未来へ向けて走っている・目的地に向かって走っている。ということになります。これが基本になります。ですので物語は通常、右から左へ向かって流れています。漫画や小説なども、右から左へページをめくりますので、アニメなどでは、そういった手法を取られているのだと思われます。

(洋画などは、邦画や日本アニメとは逆で、左から右へ流れていきます。また歌舞伎などでも、下手は左、上手は右になりますので、アニメなどとは逆ということになります。卒業式などで、証書を頂く時は左から右へ流れていくと思います。さらざんまいは、日本のアニメという事で、ここでは右から左が物語の基本形として考えていきます)

主要人物が左に向かって進んでいたら、その先が目的地・ゴールと言う事になるのです。 

1話アバンでは、一稀は右から左へと走っていますので、目的をもってゴールに向かっている。と受け止められます。ここからが物語の始まりということも同時にわかります。

また、右側に位置しているものは、善であり、正であったりします。それに対して、左に位置するものは、悪であり、負です。感情の変化的には、左を向いてる場合は、ポジティブさ、前向きさを表し、右を向いてる場合ではその逆、ネガティブ・後ろ向き・不安など、を表します。左から右へ行く場合は、先の不安や、過去、非日常へむかっているなど、通常とは違う意味を指している場合もあるようです。

 

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川沿いを走っていた一稀。「かずちゃーん」と呼ぶ声に立ち止まり、振り向きます。

ここで、いったん時間が停止します。そのきっかけは声。でも声の主はいません。声だけが走ってきたのです。既に進んできた過去からの声ですから、過去に振り返っているのがわかります。そして、2,3歩後ずさりをする。ここから、過去から逃げたい状況であることも読み取れます。後ろ向きではあっても、後ずさりすることで先に進もうとしていますから、過去を向きつつもそこから進みたいという心情もわかります。

そのあとすぐ「ア」が落ちてきます。アが落ちてきた場所は、左側。進行方向です。その音でまた一稀は、進行方向へ顔を向けます。ここでまた、未来を見ました。これで、先に進むきっかけ・鍵は「ア」である。ということがわかります。

※落ちてくるものといえば、ラピュタではシータ。パズーが、天から落ちてきた少女・シータをしっかりと受け止めます。また、化物語ではアララギくんが戦場ヶ原さんをしっかりと受け止めます。そして勿論、ちびうさも、空から落ちてきました。落ちてきた少女をしっかりと受け止めた時点で、物語は丸く収まる事が決まります。もし受け止められなかったら、その時点で終わりですしね。そして、受け止めた相手は少なからず、落ちてきた相手にとって重要な役割を果たします。

人でなく物であっても、天から落ちてくるものは非日常感を煽ります。不安や絶望感を煽ることも。小さなもので、上手く受け止められたら、そこで非日常であってもこの先、うまく対処し、大団円を迎えるだろう未来が読み取れます。受け止められない、受け止められないほど大きなものが落ちてくる。こうなりますと、一人の力ではどうにもできません。そこから逃げられない逆境が予測されます。アの場合、受け止められないけれども、隕石ほど大きくもない。だとすると、人類巻き込んでの逆境というよりも、一稀自身が抱えきれない非日常・逆境だと考えるほうが、妥当だと思います。

ですが、アは自らが火花を散らして、一稀を通り抜けていきます。一稀自身が避けるのではなく、それを受け止め、体を通り抜けていくのです。

一稀に落ちてきたアは幾重にもなり、まるで螺旋の様になっています。時計回りとは逆回転です。ここで思うのは、過去への回帰か、タイムリープ的なものです。落ちてきた「ア」は未来・進行方向にありましたが、落ちてくる「ア」は、過去へと繋がる要素満点に描かれています。

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ここでまた、一稀は右側を向きます。過去を振り向いています。一度立ち止まってますから、未来へ向けての不安ではなく、時間の停止と過去視点ということになります。

ただ場所が、川べり。横には隅田川が流れています。川は絶えず流れているもの。時間は止まりません。そこの横で足を止め、非日常経験をする一稀という構図は、非常に意味深で、面白いものだと思います。それと同時に、水という視点からみると、生死がつきまといます。このあと、一稀は落ちてくる何個ものアにまみれて、水の上に立ちます。これは、止まらない時間・不可逆な流れの中に居るとも受け止められます。もうひとつ、生死の狭間にいるとも。

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悠も右を向いています。ここから、過去に目を向けていることがわかります。

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対して燕太は、まっすぐ前を向いています。ですが、視線は右です。やはり彼も過去を見ていると受け止められます。

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夢から覚めた一稀。また、左を向いてますので、現在進行形・物語の本筋に戻った事がわかります。

 

このあとOPに行きます。

OPでは、一稀・燕太は右から左へ。未来へ向かって歩いています。物語の流れどおりに歩いていく姿です。悠は、前を向いてあるいていますから、前向きに歩いていると受け止めていいとは思います。二人とは進行方向の違いがありますので、多少二人の差があるかもしれません。

他にも、両手で箱を持つ一稀と、片手で箱を持つ悠と燕太。ここも気になるところです。通常、両手で物をもつときは、重さがそれほどでは無い場合、大切なものや、落としてはいけないものなど、それ自体に意味があります。

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OPでのカット。上2つ共に、左から右へながれていきます。上は、アからカワウソマークに。下は江戸風ピクトグラムからアに。左から右へと、通常の流れとは逆行していますから、過去へといっている事がわかります。また、未来との逆行ですので、死へ向かっているとも言えます。ここは、人→ア→カワウソという構図でも考えられるかもしれません。

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このカットでは、左に居る人物は未来側に立ってますので、右側に居る人物と過去になんらかの関わりがあることが示唆されます。注目するのは、右側の人物の目線です。

春河は左を見ていますから、未来をみています。

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燕太は、一稀との過去への拘りがわかります。一稀は未来をみています。

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悠は誓との過去への拘り。誓の目線は、右・過去を見ています。

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玲央は真武との過去への拘り。真武は過去をみています。

 右側に居る一稀と春河は、左に視線があり、未来をみていますから、先の未来がある。生きている。と見ることができます。それとは対象的に、誓と真武は右に視線があり過去をみていますから、生の無い人間。もしかすると、すでに死んでいる・もしくは死が待っていると考えられます。

 

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最後、ケッピから出た虹が左から右へ流れていきます。これは、未来から過去への架け橋と受け止められますから、右から左へ行く人のための架け橋。ですので未来や希望の象徴とも言えます。その架け橋を出したのは、ケッピです。ケッピは彼らの未来への架け橋的存在になりえる事を、示唆していると考えられます。

 

 

Aアバンに入り

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一稀は、通常とは逆方向、右から左へと移動していきます。ここでわかるのは、過去へ戻っている事。もしくは、逆境の中へ入ろうとしていることなどが考えられます。橋は場所移動の手段でもありますが、過去と未来を繋ぐものと考えましたら、過去へと戻っているとも受け止められます。

 

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橋をわたった先では、右から左へ、物語の流れに沿って歩いています。

橋をわたるシーンから、ここまでで予測されるのは、過去の出来事から逃げられない状態で、物語が進んでいくこと、そこから進めない状態であること。過去に縛られているということ。

 

 

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カパゾンビとの戦闘シーンでは、立ち位置が逆転します。これは、上手と下手で主要人物たちから見て、優位性のある怪物や、弱者が強者を倒す時にこの配置になりやすいです。戦闘シーンのあるアニメは、主役が右・敵が左。というパターンも多いと思います。この場合はまず最初に、大きな敵という位置づけで右にゾンビを置き、最終的には、背部に回りこんで通常の流れどおりの位置、右から左へに沿う形になります。

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後ろに回りこみ、優位に立つことができます。

ですが5話で、失敗してしまいます。

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その時の一稀の動きは、左から右へ→→→流れていきます。不安や同様、ネガティブな感情を表していたと思います。

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勿論尻子玉も、左から右へ流れます。

 

通常、尻子玉を抜いたあと、漏洩タイムに入ります。

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この漏洩は、尻子玉は右から左へ。一稀・悠・燕太は左から右へ流れていきます。

 

 

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1話の漏洩は一稀でした。一稀にしてみたら、自分の過去の事ですので、左側に位置し、右に視線があります。

 

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燕太は知らないことですから、未来側、これから知る立場で視線は左を向いています。

 

 

 

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ケッピが尻子玉を抜くときは、右側にいます。これも、右側から左へと進む、尻子玉を抜くことがネガティブな意味では無い事の表れ?か、未来へ進む手段なのか、現時点では悪の意味は無いと思われます。

 

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4話、Aパートでの誓。方向は左を向いていますが、目にサングラス。未来を見てはいますが、ちゃんと見えていない状態です。

ここから読み取るに、電話の相手である悠の未来を案じはしていても、その未来は見えないとも。その電話相手の悠ですが

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過去に由利鴎を撃った拳銃を持ち上げて、それを見上げています。前向きな未来をみるのではなく、つかみ取れない未来、目的が見えない夢想している状態とも言えます。

悠は誓と一緒に居たいと願っていますが、それは悠にとって、必ず得られるゴールではなく、寧ろ夢物語のようなもの。という風にも捉えられます。

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「近いうちに迎えにいけそうだ」という誓の言葉に、本当か?!と、起き上がる悠。ですが、視線は右を向いています。それは嘘であり、実現しないことと、このシーンでわかります。

 

5話で

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左にサラ、右に悠という立ち位置になっています。これは、左側にネガティブなもの、敵を置くという意味ですが、この場合は「得体の知れないもの」「未知のもの」と捉えたほうがよさそうです。

同じく

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このシーンでは、左に一稀右に春河たちです。この場合は過去ではなく、一稀視点では、ネガティブさ、春河視点からはポジティブさ。一稀からは嘘と言うワードがでてきます。一稀は、偽サラで嘘をついていますので、この立ち位置になります。

同じ左でも、状況によってネガティブさにも、色々と見てとれます。右でも同様です。

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このシーンでは、一稀の敵・脅威となるサラのマネージャーが左にいます。それをとめる燕太は右です。

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このシーンでは、右に居る方が主導権を握り、左にいるほうは完全に受身になります。

過去をみていますから、一稀視点からは右を向いています。

 

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5話で、一稀の実母が電車に乗るシーンでは、左から右へ移動しています。彼女は帰還している、元のホームへ戻っている状態を表しています。

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一稀と春河のシーン。過去に戻ろうとする一稀を、引き止める春河。

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ここで一稀は、また未来へ走り出します。実母ではなく、春河との未来を選んだとも言えます。

 

まだまだ、色々あるとは思いますが、違う視点からみていくと、色々と面白さがあります。6話もまた、立ち位置や視点をみていくと、色々見えるものがありそうです。

長々と書きましたが、どれも戯言です。本当の意味や、秘められているものはまだわからないですが、暇つぶしになれば。と思います。

さらざんまい 雑記@玲央と真武 玄武説

Twitterで、真武が玄武だと言及されておられる方がいました。おお!そうか!五行とか宿星とか考えたけれども、そうかそうか。と、納得。四神獣を考えていた時に、コレジャナイとしてしまったのは、五行にはある中央がないからだった。しかも、中学生トリオメインでああでもない、こうでもないと考えていた。レオマブ推しの方々、さすが。

 

だとすると、玲央はいわずもがな「白虎」になるのか。もしくは玄武ひとつで、レオ・マブとなるのであれば、亀・蛇なのか。

色的にも、黒と白で五行となる。黒は夜。白は月。静寂の闇に浮かぶ月。

 

「玄武」の本来の表記は(発音は同じ)「玄冥」(「冥」は「陰」を意味し、玄武は「太陰神」とされた)であり、(北方の神である)玄武は、(北にある)冥界と現世を往来して、冥界にて(亀卜=亀甲占いの)神託を受け、現世にその答えを持ち帰ることが出来ると信じられた。wikipediaより抜粋

 

亀甲占いとは、なんてタイムリーな。新嘗祭のニュースで最近話題。あの世とこの世もなるほどと、頷ける点、占いということから、サラちゃんとも繋がる点。そして、甲羅があるからと、河童なの?ではなく、亀というパターンもあるのでは?という点。これは、竜宮城の物語なのか?という気持ちになってくる。だとすると、水の中のお話にも通じてくるものがある。新嘗祭関連は、幾原監督が後付けでここまで考えて作られていたとは思えなく、何か持ってる!としか思えない。本当にタイムリーだ。玄部説がビンゴなら、ではあるが。

 

サラちゃんが探していた王子はやはり、レオ・マブ。スピンオフで育ててもらった二人の事をLOVEというのも、非常によくわかる。コールドスリープも、心臓が機械なマブならば、話も断然スムーズになる。そして、5話で決定的にやっぱりこれか。と思ったのは「イイ匂い」だ。最初からココが不思議でならなかった。5話で謎が解けた。5話は、なぜサシェなのか。一稀にとっての懐かしい匂いは、実母の香りだ。その実母の香りは、サシェからする。サラがイイ匂いと言ったのは、懐かしい匂い・自分の好きな匂いだからではないだろうか。赤ん坊の頃の懐かしさと安心感を彷彿とするような、包み込んでくれるもの。ケッピには無いだろう。

なぜサラちゃんはきゅうりが好きなのか?については、河童だけがきゅうりが好きな訳じゃないんだよ!ということで。むしろ、河童でも亀でもいいんだよ。ケッピだって、イソギンチャクじゃん!という感じだし。河童もカワウソも亀もみんな、仲間。皆兄弟。それでいいじゃん。ややこしい。こういうと身も蓋もないか。こうして書いていると、本当のメインってレオとマブなの?!と思えてくる。彼らの物語が裏に隠されているのだろう事は、それこそ最初から皆わかっていた。ただ、ラッキーアイテムにしろ物語に隠されているものにしろ、どこかレオとマブに繋がっている。そうではなくて、彼ら5人が皆、繋がっているのか。そう考えたほうがよさそうだ。

 

マブが玄武・王子とするならば、扱いに困るのがレオだ。レオは蛇なのか白虎の獅子なのか。カワウソイヤーを聴いていると、二人で玄武なのかとも思う。白虎は一見、竜のような蛇のような見た目で書かれる事もある。牡丹の花を背負う事もあるらしく、華やかなのは白虎。見た目的にも、派手そうなのはレオだよね。薔薇を背負ってたら、完璧なBLになるのかもだが。こうなるとレオとマブは、カワウソ側に居る事がなんで?と疑問しかない。カワウソって何者なのだ。

どうやら…。

「真武大帝」が神格化する際に、霊獣としての「玄武」は別にされ「蛇」と「亀」の妖怪となり、玄天上帝に降伏させられた。となっている。真武はわかる。名前がそのままなので。玲央だ。まさかのジャングル大帝からじゃないだろうな?と言う気持ちになる。そこだけメッチャ安直やん!そして、神格化した玄天上帝がカワウソかー?!ってなってしまう。違うだろー?と思いたい。もっというなら、玄天上帝は元は人間らしく、こうなるとまた話がややこしくなっていく(もちろん、さらざんまいをベースとして考えた時に)

他にも、サラちゃんのアサクササラテレビに出てくるモチーフは

www.otorisama.or.jp

ここへ繋がっていく。ここで祀られているのは「妙見菩薩

亀と蛇に騎乗している姿で描かれることもある。こうなるとサラちゃんは、妙見菩薩様ではないのか?と思えてくる。

だとすると、サラちゃんが探していたのは、レオかマブではなくて二つに分かれた生命であって、元はひとつ。なので、レオとマブということに。もしくは本体がマブで、レオは本来マブの中の人格?レオとマブは、元の姿に戻るためには両方の命が必要。二つに分かれてしまったのは、どちらかがどちらかを犠牲にすることで、命を繋いでいる?むしろ本体がマブだとしたら、レオは分裂した物なので、マブが本来の姿になるとレオはマブの中に?見た目的には、レオは消滅する。なんだかこれは、ウテナの「ウテナ・アンシー同一説」に繋がるものがある。こう書くと、非常に意味不明で元々妄想的なことをだらだらと書いているのに、さらに電波な感じしかしないが。どちらにしろ、神みたいなものだから分裂したりする。都合よく解釈するとそうなる。両方で玄武であり、分かれたので二つの運命。ひとつの生命。元は真武大帝。故に最終的には、まさかのユニゾン。二人でひとつの声になる。のかな?

レオとマブはこれでいいにしろ、カワウソの存在が今度は謎になる。もうみんな、正体は人間でいいんじゃないかな…。という気持ちもするが、それだと放り投げになってしまう。玄天上帝がカワウソなのか?

www.sotoaruki.com

↑玄天上帝を載せられているブログ様

 

なんかこれを観ると、超スゲー感じなんですけど…。カワウソボス、こんなんなの?なんだかお話が壮大に…。台湾まで飛んじゃってるし。それに、玄天上帝は真武大帝ではないのか。玄武=玄天上帝なのか、真武大帝が分裂して玄武・玄天上帝なのか、なんなのだろう。これだと白虎の入る余地がない。何せこのあたりに、レオとマブの正体が秘められていそうだ。

ここからどうやって、ケッピや一稀たちとかかわるのだろうか。なぜ欲望を欲しているのだろうか。なぜカワウソ陣営にいるのだろうか?と、さらざんまいにおいての謎はつきない。

何か思いついたら追記していこうと思う。

 

www.pashplus.jp

この先行カットをみると、手に亀の人形焼きが。玄武でFAか。そしてもうひとつ。あれだけペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタあった「ア」が無い。本編を見ないとわからないが、「ア」が消えているようにみえる。なぜなのか。欲望フィールドでもないはずなのに。いや、欲望フィールドなのか?ピクトグラムが幽霊型ではないので、欲望フィールドではないみたいだが。なぜ「ア」がないんだ。

アが無い前提で考えてみると、河童状態だと「ア」が消える。人間状態だと「ア」がある。しかも、その「ア」も、あったり無かったり。場面によって出現条件が違っている。河童は通常、人間には見えない。というルールを、1話でケッピが提示した。そうすると、一稀・悠・燕太が河童になると、他の人には見えなくなる。彼らが見えなくなった世界には「ア」が存在しない。

関係ないのだが、キース・モットクレーがお気に入りで、繰り返して観る際には、3話が断然多いのだが(エピソード的には、燕太の妄想回でギャグに振り切っている感も強い)案外この3話、非常に重要な気もしている。燕太の妄想だからと見逃してしまいそうな台詞の中に、意味深なものも何個かある。一稀に何かあったら、死んでも死にきれないとか。じゃあ本当に一稀に何かあったら?死ぬの?ねぇ死ぬの?どうするの?と。物のたとえだよ!となりそうだが、実際今、5話時点で一稀は苦悩を抱えている。この苦悩に対して燕太はどうするのか。様々な伏線要素が詰め込まれている気もするのだ。

雑記

なぜ、吾妻橋の欄干を縦にしているのか。

縦構造で、隅田川が世界の境界線。上と下。

カワウソのアジト?ソイヤー舞台はどうなっている?のか。6話予告をみて少し、頭に浮かんだので。

ここからは完全に想像でしかないが、隅田川に映るスカイツリー。ここが、カワウソ側のアジト。ソイヤーを歌い下へ降りていくのは、隅田川に映るスカイツリーであって違う世界。なので6話予告で、ケッピたちは水の中へもぐった。5話で上昇してきて交番に戻ってきたのは、現世へ戻ってきた。なので、吾妻橋の欄干は縦になり上下の世界ができる。上と下の架け橋になるので、橋は縦でないといけない。

川に映るスカイツリーが、物理的に使えるのかどうか?は、言わずもがなではあるが、パラレル的なものだと考えれば、そういうものも可能になるはず。芥川の河童にでてくる、23号が落ちた穴の底みたいなもの。

実際はどうかわからないが。そう考えたら、アの世界は水の中の話?とやはり思えてくる。じゃあなぜ、皆、息ができるのか。わからない。やはり、水の中にいてアの世界は過去・思い出のような気がしてならない。一稀が観ている思い出。じゃあなぜ、一稀は思い出を語っているのか。

星の王子様にあいにいったんだ。と春河がいっていた。ニャンタローに乗って。春河が会いたいと思うのは、一稀しか今のところ居ないと思う。ニャンタローを連れて来たのは、一稀だ。だとしたら、星の王子様は一稀であり、いろんな人にあったんだよ。という思い出を見せられているともとれる。というか、星の王子様的だからいいものの、芥川の河童だと、一稀は第23号ということになる。これは非常にヤバイ展開過ぎる。やめておこう。

逆に、寺山版の星の王子様だとしたら。目に見えないものばかり信じるな。というアンチテーゼ的な流れではあるから、血の繋がりとかうだうだ言ってないで、目の前に居る人をなぜ見ない!という流れになるのかもとも思う。でもこれは、5話で独白された。ここの流れから、6話で着地点が見えそうな予感もある。

6話をみてみないとわからないが、6話は前半ラストと、後半のスタートでもあるから、何かしらの大きな提示は必ずあるとは思うのだ。

 

レオとマブのカワウソイヤや、その他諸々思いつくままに。

レオとマブが、ソイヤを踊るとき「欲望を」「手放すな」のところだけ、振り付けが違う。自信はないが、あとは同じ振り付けにみえる(ソイヤソイヤの心臓を取る所は別として)あげた足が、レオは後ろ、マブは前。

二人が輪の様な、水が張られている場所に浮いているシーン。ライトが消えていってるのは、蝋燭?だとしたら、浅草寺の常香炉や大きな蝋燭立てにもみえる。

阿吽像。風神雷神説。

だいたいこの二人、欲望搾取とか宣言しておきながら、欲望を手放すなとか、歌っている。言ってることが違うやん!ってなる。ティザーや、キャッチコピーそのものを歌っているのは、レオとマブ。ほんともう、この欲望欲望欲望。なんなのさ!ともかく、カワウソイヤーは、誰かに向けて歌っているものではなく、レオとマブ自身の歌だ(と、私は思っている)

カパゾンビが降りてくるくるくるは、やはり火災旋風を模しているように思う。関東大震災とも繋がる気がする。もし、関東大震災を描かれたいとするならば、ピンドラのときのように、一稀・悠・燕太が運命の乗り換えをするのか?サネトシが、レオとマブ?一度したことをするとは思えない。

ウテナで、世界を革命しようとした。ピングドラムで、運命を乗り換えた。ユリ熊で運命を乗り越えた。ウテナは二人とも生きている。ピングドラムは、主要人物二人が消えた。ユリ熊では、最早どこへ行ったのかわからない。

そうだ。上記3作品に大きく共通している事が、まだあった。時系列の謎だ。いつの話なのか、どの時間軸の話なのかが、不明だったりばらばらに提示してくる。今回は、回想含め非常にわかりやすいと感じているのは、時系列が一応綺麗にみえているからではないか?ストーリーの流れ的に、そう見えているだけであって実は、謎に満ちている時系列だったりする。今までとは逆パターン。何を描かれようとしているのか。繋がりはわかる。だが、どこへ繋げたい?過去から未来?未来は今いる私たち?過去からの警鐘?

SNSで簡単につながれるが、そこに書いてあることは本当なのかどうか。春河と偽サラでもわかる。繋がりの曖昧さもわかる。たくさんの繋がりや、繋がりたいという欲求をみてきたが、これらがどこへ向かおうとしているのか、皆目見当がつかない。

カパゾンビも、水に弱すぎる。デジタルみたいな存在?防水加工されてないとか。

 

アの無い場所が、他にも。3話、音寧がキースの魔の手から逃げられた時。橋の上からはアが見えない。1話のAパート。一稀が吾妻橋を歩いている時も、橋にはアがない。あれだけぺたぺたとあったはずなのに。5話、一稀の実母が、ホームで電車を待っている時と電車の中。そのアも、場面で位置が変わる?あったり、無かったり。そういえば、1話の一稀。橋を渡っていたが、アサクササラテレビのテレビ時計からして、朝の7時55分。なぜ、墨田区側から台東区へ?家は墨田区側にあったのだろうか?だとすると、5話の春河はどこから走ってきたのか。一稀・悠・燕太の自宅の位置はどこなのだろう。

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単純に、アのある位置がもっと奥で、角度的に映って無いだけかもしれないが。アが消えたり、あったりしている様に見える。

 

燕太の家の庭に、たぬきの置物があった。後ろを向いたり正面を向いたりと、奇妙ではあるが、鎮護堂にはお狸様がいる。火防・泥棒除け。箱は盗まれたが。

 

 

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さらざんまい 予告@第6皿目

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6話予告来ました!待ってた!

6話では、春河がどうやら鍵になる模様です。いつもの隅田川沿いの場所に、車椅子だけ残して、春河がいません!歩けないはずですから、一体どうしたのでしょうか。その前に、不穏すぎる手のひらが写ります。スマホのカワウソアイコンまで。ここまできたら、まさかカパゾンビにされてしまうの?!と、嫌な予想しか思いつきませんが…。

 

人間にもどれなくなった、一稀・悠・燕太。彼らは人間に戻れるのか。ケッピ、謎の電話体。スマホではなくて、昔ならではのダイヤル式。なぜ電話に。電話がこの形態なのは、前の5話を考えると「円」であって、ダイヤルが円状だからでしょうか。まあるい円で繋がっている。ということですから、ここから察するにこの電話は、春河に繋がる何かかもしれません。

水に飛び込む4匹。壁だかに、川獺の山・河童の川の相撲があります。どういうことだ。そのあと、どこかのアジト?らしきところに行きます。ここはいつも、ソイヤーソイヤーしていた場所の様です。ちらりと、カワウソマークの入ったダンボールも映ります。悠もピストルを発砲していますし、欲望フィールドなのでしょうか?それとも違う世界軸?燕太も泣いています。いったい何があったんでしょう。

順当に考えますと、春河がカパゾンビになっちゃう!助けよう!という流れで、ソイヤー舞台へ乗り込んだ。みたいな感じに見えますが。

一稀カッパの足にあるミサンガも、気になるところですし、ケッピが様々な形態に変身?しています。そんなに伸縮性が高いのか…。まるで、バーバパパ。最後にでてくる繋がれた太鼓。宇宙戦艦・ヤマトとか、バトルアニメ・ロボット系アニメで出てくる○○砲みたいな様相。

ナレーションも、一稀・悠とコンビバージョンと、一稀・悠・燕太トリプルバージョン。燕太シングルバージョンと3種。なぜ、燕太だけにシングルバージョン?

燕太に至っては、6話以降にちょっと黒い部分が見えるかも?と、燕太の声優・堀江瞬さんが、おっしゃられたそうで。なるほど。谷川俊太郎かな。などと一人思ってます。

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かっぱらった!かっぱらっぱ!な谷川俊太郎。『きみ』は、小学生の恋愛というか、性の目覚めの詩。相手が男の子であるので、ゲイの詩ではある。ただ、非常に不安定な時期・年齢だからこそ、性の目覚めが異性ではなく同性というのも、なんだかある意味小学生っぽい気もした。蛇になりたいひもの詩もある。紐は、最初と最後である、頭としっぽが欲しくて。みたいな詩。芥川でもあり谷川でもあるのかな?なんて思ってたり。

 

そういえば、レオとマブっていつも、「レオ」「マブ」と書いていたので失念していましたが、なぜ苗字があるのだろう?カワウソ側だろう事は、間違いないはずで、カワウソ側のカワウソ達は、人間界と同じように苗字がある名前?もしくは、人間界にもぐりこむ為の名前?吾妻サラにしてもそう。いつから「吾妻」がついたのか。ケッピはケッピなのに。逆になぜ、ケッピはケッピなのでしょうか。

色々と謎は深まりますが。放送がとても楽しみです!

 

 

雑記

さらざんまいが始まって、なるべく書かない・触れない様にしていた話題。いわゆるセクシュアリティー問題。見ればわかるレベルで、同性愛?!ってなる。これはもう、ウテナ…いや、セーラームーンの頃から彷彿としていたものである訳で。ただ、セーラームーンの場合は、幾原監督発信ではなく、原作・セーラームーンが、そういう傾向にあった。ミチル(ネプチューン)&ハルカ(ウラヌス)という耽美or耽美のカップルは、武内直子先生発信だ。原作では、ウラヌスの性別が非常に曖昧なことになっている。作中(原作セーラームーン)の中で、うさぎがミチルにハルカの性別について言及するシーンもあるにはあるのだが、うまく誤魔化される。というか、男でもあり、女でもあるのよ。と返答される。当時、原作を読んでいた身としては「性別なんていいんだよ!」と、読んでいた気もする。それはなぜか?単純に知識がないからだ。こういうと、はぁ?となるかもしれない。知識が無いというのは、同性愛について。ということであって、純粋にそこに描かれているものを受け止めていた。変身前は男性的なウラヌス。セーラー戦士になれば、女性的なウラヌス。そこに疑問は無かった。敢えて言うならば、人間としての愛。といえばいいのか。女同士だから百合だよねー。といったような感覚がなかったのだ。

※余談ではあるが、ネプチューンとウラヌスの変身バンクは、庵野秀明が絵コンテを担当している

その後、ウテナユリ熊嵐・さらざんまいと、何かしら同性愛を彷彿とするものが、前面に出てきている。もちろん意図してだとは思うが、単純に同性愛を描きたいのだろうか?私は、そうは思わない。だからといって、たまたま同性愛なだけだよ。とも思わない。じゃあ、LGBTへの問題提起?いやいや、そんな事も一切思っていない。

私が感じているのは、監督の「照れ」だと思っている。それこそ、は?と思われるかもしれないが。ユリ熊嵐とか、あれだけユリユリしい事させておいて、照れってwってなるかもしれないが、照れなのだ。男女の恋愛だと、身近すぎて描けないとか、物語としてエグさが増すだとか、洒落にならないだとか、理由はいろいろあると思う。が、根本的には、監督自身が「こっぱずかしいから」というのが、大きな要因だろう気がしている。シャイさが、男女のストレートな恋愛模様を描くことに、抵抗があるのかもしれない。仮に開き直って、男女の恋愛を描かれたとしたら。男女それぞれ側から、「そりゃ違う!」「いや、共感できる!」「そんな女、居ないでしょ!」「そうそう!」と、意味不明なカオス状態の物語になりそうな予感もする。幾原監督だからこそ、男女それぞれに向けての物語や心情を描けるのであって、男女の恋愛像というのは、幾原作品において、足枷にしかならない気もするのだ。

ウテナの時は、ウテナとアンシーという同性である二人を恋愛対象として置く事で、恋愛体系の常識=社会の常識という構図を描いていた。ここで、間違えてはいけないのは、何もLGBTをどうのと言うことを語っていたのではない。男女が恋愛をして、結婚をして、子供をつくり未来を繋ぐという構図は、社会の構図とも言える。社会の構図ということは、政治や社会感に通じていく。少女革命ウテナは、その世界を革命しようと言う物語。恋愛の構図を変えれば、社会自体も革命されるのではないのか?という、大きな命題があった。

どうしても、同性愛的なものに目が行きがちではあるが、そこは極論「なんでもいい」のだと思う。だからさらざんまいにおいて、燕太は時々少女っぽい妄想もする。少年っぽい行動も妄想もする。一稀に至っては、理由があったにしろ女装男子になる。性への線引きが、非常に希薄なのである。悠も女装・一稀に頬を染める。ここで、この子達は、みんなホモだな!と思うのは早計であるが、正しくもある。

この物語は、単にセクシュアリティーを描きたい訳ではないはずだ。

監督はインタビューで「今回は絶対に、耽美と言われたくない」と、語られた。確かに、尻子玉を取るシーンは、耽美とは言い難い。何を持って耽美といわれているのか?薔薇が散るから?花を背負ってるから?それだけではない。ウテナの劇場版は、それはもう耽美な世界すぎて、その世界にどっぷりと浸れる。見るシーン・シーンが美しいのだ。しかもまだ、セル画の時代。それを考えただけでも、感嘆する。エッシャーを思わせる学園から始まり、そこでもう、世界の虜になる。そこから怒涛の耽美界へと誘われるのだ。登場する人物たちはその世界の中で、われこそが!と、耽美を競ってくれる。

何度か書いたかもしれないが、私の中で一番耽美を感じたのは、ミチル(ネプチューン)とハルカ(ウラヌス)の、手を絡めるシーンである。これは、未だにNO.1の座を保守している。ウテナをもってしても、あの衝撃は越えられない。ここのシーンで花は出てこない。薔薇も背負ってない。ただ、手を絡めるだけ。なのにベストオブ耽美。美しすぎて、美しすぎて。なぜなのか。そこには、みちるとはるかの想いがあるからだ。その想いが、画面を通して手を絡めるだけなのに、伝わってくる。「僕の手は汚れている」というハルカに「あなたの手が好き」というミチル。二人の想いの強さが、ミチルの言葉で、綺麗に描かれている。本当に美しい。

でもこれは、ミチルとハルカによる恋愛という関係性の上になりたっているのであって、さらざんまいにおいて、そういう意味での耽美は、確かに無いかもしれない。だが、監督自身がお気づきで無いのかもしれないが、耽美さの欠片は、1話から感じ取れた。谷崎潤一郎のような端麗さ、月岡芳年のような、陰惨の中にある刹那的な耽美さ。江戸川乱歩のように、残酷でありながらも美しい。そういう世界観を彷彿とするような、期待感と欠片が、あちらこちらに描かれているように思う。これも決して、欝な絵にするのではなく、非常にポップであり、スタイリッシュ。それこそ陰惨なだけになりがちなものを、駄洒落やギャグ、細かな拘りで綺麗に変化させている。故に、耽美といわれたくない。というのは、無理である。どうしても耽美になってしまう。

尻子玉を抜くシーンを見ての予防線として「耽美といわれたくないから、がっつりやりました」と言われたのかもしれない。何も考えずに、思いをそのまま言われる監督ではない。ある程度考えて、発信しておられると同時に、監督の世界・脳内は監督にしか見えなくて、それをいかに具現化し、伝えていくのかということを、考えておられるのだろうし。結論的に「耽美といわれたくない」は、無理である。そう無理。諦めたほうがいい。美しくないものなんて、許せないのだろう。だから、無理。最終的にきっと、美しいか、そうでないか。何かを決定する際には、ここがポイントになっているのだと思う。耽美にならざるを得ないのだ。汚い世界なんて、イラナイ。ポイポイ。そして求めても居ない。※個人的感想

と、だらだらと書いたのだが、要は「セクシュアリティー」は、二の次。と言うことを言いたかっただけである。それは付加事項でしかなくて、メインではない。レオとマブは、どう見てもそれこそ、所謂BL的な耽美にならざるを得ない予感しかしない。これは、観ている者全員が、そう感じているはずであり、製作側の意図する所だろう。だがこれも、同性愛という視点よりも、人間愛という面のほうが強いとは思う。私はBLに明るい訳ではないので、ここは何とも言い難いが…。

 

もうひとつ、1話から感じている事。1話を見終わった時点で、幾原監督は、もしかしてこれを最後にするつもりで、作っているのではないだろうか?と言う事。これまでのセーラームーンシリーズ・劇場版、ウテナピングドラム、ユリ熊の集合体、総決算的な作品になるのではないのか?と言う事。これを最後に引退してもいい。こういう気概を感じたのだ。実際に引退する・しないではなく。だから、いままでの話数をみていて、昭和から平成にかけて、ああ、こういうのよくあるパターンだよねー。みたいな物を感じていたのではないか?とも思える。

「愛」 そして、今回大きなテーマになっているのだろう「繋がり」 このふたつは、今回だけではなく、これまでの共通テーマとも言える。所々に観て取れる、今までの作品を彷彿とするもの。レオとマブのソイヤーの最後は、これこそみな思った「ウテナ!」だと。出てくるものが、剣でないだけで。セーラームーンは、胸から幻の銀水晶がでてくる。ユリ熊では、ユリの花が?出てくる。何かしら胸からでてくる。ピングドラムでも、プリクリが冠馬の胸からピングドラム(心臓・林檎)を出す。何かしら、胸から出す・出す・出す。だが、全て必ず意味のあるもので、しかも悪い意味のものはない。胸から出すものの意味が、さらざんまいへも繋がるのか注目点だ。

インパクト大なバンクシーンもそうだ。セーラームーンの変身バンクは当時としては、非常に衝撃的だった。女の子が夢中になる要素が、これでもか!と言うくらいに詰め込まれていた。ウテナも、初見は「何これ?!」と意味不明さに、毎回その意味を探ろうと必死に食らいついた。当時はまだリピート放送もない時代であり、ビデオなんて撮ろうとも思ってなかった。だから一発勝負なのだ。そのせいか「絶対運命黙示録」という言葉の羅列が、ひどく印象に残った。そこから時代も変わり、私自身も成人になった。そしてピングドラム。もちろん、録画待機。ワクワクと懐かしさが蘇る。そんな想いで観たピングドラム。最初の「生存戦略」は、インパクトしかなかった。意味不明すぎる。それでも魅入られた。ユリ熊嵐の「ユリ承認」は、もう慣れたのもあるが、キタキタと言うものだった。ここで、インパクトよりも懐かしさを覚えた。きっと、セーラームーン的なものを感じたのだろう。そして今回のさらざんまい。いや…え…。いままでは一人変身なのに、変身のきっかけが河童により尻子玉搾取って。でもこれが、変身バンクだよね?的な、いままでとは違う気持ちに。それでもインパクトと言う面では、言うまでも無く。これまでの謎な変身バンクではなくて、さらざんまいは、非常にわかりやすいものではあるが、インパクトは絶大。

言葉の韻を踏む駄洒落やギャグ。これは変わらず。小物にいたるまで、細かい描写。これは、ユリ熊嵐でもっとも見られた物。クマと椿にこだわった小物類は、本当に素晴らしかった。今回も、河童に拘った小物が5話・サラちゃん控え室でふんだんに見受けられた。

そして、大きな共通事項として「水」がある。大事なシーンや、生死を分けるシーンでは必ず、水場や水が出てくるのだ。

セーラームーンで、ミチルとウラヌスの耽美シーンでは、屋内プールが描かれていた。ウテナでは、決闘広場へ至る扉や、プール、川、ありとあらゆる水が出てくる。ピングドラムでは、言うまでもなく水族館。ユリ熊嵐では、噴水やお風呂場。さらざんまいでは、この水が、非常に大きな意味を成している。そして、赤い糸。これも思い返せば、各シリーズで、象徴的に使われていた。その太さはマチマチで、糸だったりリボンだったりはしたが。こうして、振り返ると随所にイクニズムを見て取れる。さらざんまいでも、レオとマブの二人がダンボールで上下降しているシーンでは、赤い糸らしきものがたくさん伸びていたりする。各シリーズを重ねていくごとに、暗喩的なものはレベルをあげていっている。故に、わかりにくさが生まれてしまっている面もあるのだろう。それを受けてのさらざんまい。まだまだ中盤。この先どんな世界があるのか、非常に楽しみであるし、堪能したい。

 

さらざんまい アを再考してみた

注意!妄想成分が高めです

これまでも、ほぼ妄想や憶測で成り立っている部分が多々ありましたが、今回はそれをも凌ぐレベルです。ご注意ください。

 

 

 

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5話までみて、もう一度「ア」を考えてみたいと思います。

 

前は「アンテナ」か「阿」かな?と思っていました。ですが、5話をみて「繋がり」を書いていることは間違いないのに、アがしっくりこない。

三人がさらざんまいする時に、皿が引っ付きwifiの波とアが出てきます。これは間違いなく「アンテナ」のアでしょう。

だとすると、アンテナマークはこちらのアであって、街中に溢れ返っている「ア」は違うアなのか?という疑問が出てきます。仮に街中に溢れるアが、アンテナだとしたら3人が見せるwifi風のヤツのはずですから。

だとすると、阿?これは正直、もし正解であっても「へー」レベルでしか思えないのです。だって、阿自体を完璧に理解しているとは思えない。お坊さんは噛み砕いて伝えてくださったのだと思いますし、修行も勉強も真面目にしていないのに、ちゃんと理解しているとは思えません。これは、横暴な言い方かもしれないですが、大体の人が同じだと思うのです。阿だよ。といわれて、なるほど!!と思えるのか?いや、ないだろwと。もくしは、そうだんだー。へー。としか思わないでしょうし、そうか!という、アハ体験がありません。もやっとしたまま。

そういったものを物語の中心にもってきて、こうですよ!とか、思想・理念みたいなものを説く?と思うのです。

 

 

アがなんだろう?と言うヒントは、アサクササラテレビのワンカット。アについてのヒントは、今の所ここしかありません。

 

これを見れば、誰でも「愛」でしょw となります。有名なドラマや、小説、ゲーム、アニメ。世界の中心で~は、叫ぶケモノ以来この手のタイトルを、結構見かけた時期がありました。でもどうしてもひっかかるものがひとつ。「アを御自由に御覧ください」これです。愛をご自由に?しかも御覧ください?愛の物語として、御自由に御覧ください。ならまだわかりますが、通常簡単に見えるものではないはず。それを除けばすべてア=愛で通じるのに。

レオとマブも、しつこいくらいに「欲望か」「愛か」を繰り返しています。これは、選択しろという問いかけではなく、その人が持っているものの、選別だと思います。実際ゾンビは何も選んでませんから。

そして、欲望搾取!となることから、ゾンビには愛がない。だから、川ウソマークの箱の中に入る。だとすると「愛」はどこへ?仮に、愛だよってなった場合、ゾンビはどうなるのでしょうか。そもそも欲望と愛の線引きがやっぱり曖昧すぎます。

なんだか女性誌にありがちな、「それは愛と呼べる?欲望と愛の見分け方」みたいな、ありがちすぎるサブタイトルが浮かびますけれども。そういうレベルのお話なのでしょうか。モットクレーみたいな男、最低だよねー!みたいな感じの。なんか違う気がします。

ですが、見ればわかるレベルのものであれば「愛」しかありません。川うそ交番の周りにアがないのは、欲望側だから。アのある街は、河童側。

こうなるとまた、疑問が浮かび上がります。カワウソもケッピも、欲望搾取と声高に宣言しているのです。

 

今回わかったのは

1 ケッピが尻子玉搾取する

2 河童になる(一稀・悠・燕太)

3 カパゾンビから尻子玉を奪う

4 ケッピに転送する 4-a 成功 4-b失敗

5 成功の場合、ケッピが消化し、河童から人間へ戻れる

6 失敗の場合、ケッピが消化できず、河童のまま

 

5の時点で、ケッピから三人にそれぞれの尻子玉が、戻されると推測できます。失敗したら、そのままケッピが持ったまま。なので搾取したままの状態。尻子玉とは欲望。欲望とは命。命をとったまま。カワウソと何が違うのか。最終形態がカッパかゾンビなだけで。ですが、カワウソは尻子玉は取ってなく、欲望を取っているのです。このあたりで、頭がパンクしそうになります。まったく持って意味がわからない。

だから、アにしろ、愛なの?と、単純に思えなくなっていく。そもそも、愛だとして街中に、アの街ですよ。愛溢れてますよ。愛ですからー!って、アピールする意味もわからない。家の中にはまったくないのはなぜ?愛の街とアピールする必要が無いからでしょうか。家の中に、町名の看板が無いのと同じで。火消しでよくみる「め組」みたいなもので、ここからはアの持ち場みたいなアピール。その中のロゴにしている「ア」は、愛の意味。

 

じゃあなぜ、1話アバンで大きな「ア」看板が落ちてきたのか。その前は「ア」の無い町だったのか。愛があるとか無いとかではなくて、アはエリア分けのロゴでしかない。なので、アンテナや具体的に何か使うためのものではなく、区分けの目印。なので、家の中や、屋内には見当たらない。

 

愛をご自由に御覧ください。ってなんだろう。自由にみえるのかな。

これも、ア=愛と置き換えるからおかしくなるのであって、あくまでも区分のロゴマーク・標識みたいなものだと考えれば、標識のアを御自由に御覧ください。アの地域を御自由に御覧くださいみたいに考えられると思います。

私視点からしたら、アニメのアなんですけれども。あくまでも視聴者目線であり、ストーリー上は関係なさそうですけれども。

 

ひとつだけ、愛をご自由に御覧くださいだけ、腑に落ちませんが、エリア区分としての「ア」というロゴマークである。ロゴマークの意味は「愛」である。

こう考えれば、愛であってもいけそうです。

 

 

○アを愛とする大きな理由

 

1 レオとマブが「欲望」か「愛」かと言っている点

2 川うそ交番付近には、ア看板がない

  欲望側が川うそとした場合、愛が残る。

3 家の中・屋内にはア看板がない

  ア看板が、地域区別のための標識

4 アサクササラテレビの標語。

  ただし「アを御自由に御覧ください」は、疑問。

5 誰しもが、知っていて簡単にはまる言葉である

 

上記理由から、ア=愛にしてもいいんでは?と思います。

ただこれも、そうか!というようなスッキリ感は今のところありません。こうかな?レベルでしかなく。愛のアであっても、平仮名でなく片仮名な事にも謎が。そこはどちらでもいいだろ。アのほうが書きやすいからだろ。と思えなくもないですが、これだけ浅草という土地に拘り、ピクトグラムも昔風なのに、ア。ここは「あ」のほうが、しっくりくる様に思います。なのに片仮名の「ア」

私たちは一体、何をみているのか。月日の謎からして、過去の物語なのか。だとしたら、アルバムの「ア」記憶や思い出、想いという意味でのアルバムの中の世界。だから何度も回想が入る。漏洩という名の思い出が蘇る。

もうなんでも、アに繋がる気がします。アルバムか!と思えば、そうとしか思えなくなりますし。謎が解ける日が来ればいいのですけれども…。

一稀・悠・燕太の中のアルバムなので、彼らが知らない・関係の無い場所であるカワウソ交番あたりには「ア」が無い。これですと、屋内にアがないのが不思議に。あくまでも標識的な意味なので、屋内には無い。ここはこれでイイと思います。なら、墨田区側にも「ア」があった事も、アルバムで意味が通じそうです。

 

 さらざんまいは、ア世界への移行部分のきっかけが、ア看板が落ちた後です。どう考えてもおかしな世界。ア看板がある・ものが飛ぶ。この二つだけでも謎に満ちています。そんなア世界をどう捉えたらいいのか。現実軸ではないことは確かの様に思います。回想でも、悠の漏洩でアマークが出ていました。EDでも実写にまじり、アマークがあります。

そういえばもうひとつ、ヒントになるかわかりませんが、OPで浅草界隈のピクトグラムがアに変わっていくシーンがありました。これも、上記で書いた愛より、アルバムのほうが、ピクトグラムの記憶や思い出がある。と考えるとなんとなく通じるような。川に落ちていきますから、関東大震災なども彷彿とします。ピクトグラムは、彼ら(一稀・悠・燕太)と関わりが無いので、印象に無くそういう姿?

そういえば、5話のアバンでじーさんの今際の際シーン。親類・ご両親は色がモノクロ風だったのは、光の加減かな?と思っていたのですが、一稀にとって鮮明な記憶ではない。それに比べて、春河はきれいな色でした。これは、一稀の記憶にしっかりその姿が残っている。医者・看護師はピクトグラム。印象に残ってないから。そう考えていくと、アのある世界は全て、彼らの思い出や記憶の出来事。学校の同級生たちがピクトグラムではないのは、少なからず関わりがあるから。

記憶や思い出の中の出来事だとすると、一体誰の記憶なのでしょう。彼らは「さらざんまい」することによって、それぞれの思い出や記憶を共有しています。1話アバンから考えると、一稀の記憶を私たちはみているということに?悠や燕太の記憶は、共有したので、みることができる。身も心も繋がっていますので、誰か一人ではなくて…。まさかひとつの個体に?!それは無いと思いますが。現在2019年ですから、物語の中で語られている2016年は、記憶の出来事・過去だというのは、間違いないはずです。ひとつの個体、海草ではなく、回想。もしかしたら…。彼らはケッピの中にいるのでは。尻子玉自体がケッピにあるのですから…。ケッピの中は水中。なので、海草ではなく回想。

 

よく言われる、人は二度死ぬで、一度目は肉体的に。二度目は記憶から消えた時に。

カパゾンビは完全に消えてしまうのは、二度死んでいるから?覚えていてくれたら、忘れずに居てくれたら、記憶の中で生きていけるといった風に。忘れてはいけない記憶で、アルバムもありそうな…。

1話アバンの、大きなア看板が落ちてきたのは、一稀にとって大きな記憶だから。

 

 

※OPのラスト、3人で肩を組み笑うシーン。この時彼らが着ている制服の襟がピンク。通常なら水色のはずです。夕日に照らされているので、アノ色になったのかな。と思うのですが、青がアノ色になるかなぁ?と疑問も。

gakuen.gifu-net.ed.jp

ここで混ぜてみても、ピンクっぽい色にはならないので、もしかするとカッターが2色あるのかもですし、なんともいえませんが、気になるといえば気になります。1話の学校シーンでも、ピンクの縁取りカッターを着ている生徒は居ませんでした。

 

アの看板が落ちてくるのは、同じようなシーンをトゥルーマンショーでも見た気が。映画の最初の最初で、空からライトが落ちてきます。それを拾うトゥルーマン。空を見上げても、何も無い。雲ひとつ無い空。落下物は飛行機から落ちたということを、車のラジオで聞きます。

この時点で見ている側は、なんかおかしいな?と気づきますが、まだ確信はもてず。所々に、黒枠がでたり、意味深な台詞のいいまわしがあったり。何かしら、もやもやする感覚になるのです。

徐々にトゥルーマンがすむ世界は虚構だったということが、わかってきます。彼の人生を覗き見する視聴者。彼自身はそのことに気づいてません。彼の住む街は全てセット。彼の周りの人々は全てエキストラ。ですが、さまざまなミスが重なり、主人公が疑念を抱き始めます。そこから彼は、作られた虚構に抗おうとしますが…。

個人的な感想ですが、この作品の主人公・トゥルーマンを演じているのはジム・キャリーが、気持ち悪い…。他の作品はそうでもないのに、この作品だけ、むしょうに気持ち悪く感じるのです。確かに虚構世界に生きているのは辛いでしょうし、それ以上に怖い。ですが、演技のひとつひとつ、台詞のひとつひとつ、全てが後半から気持ち悪くなっていきます。ほぼ病気。そういう環境にいたら、狂ってしまうというか、何をどう考えていいのかわからない状況に陥るのも、わからなくもないですけれども…。常人じゃなく、周りの人への不信感からか、すべて敵とみなしているというか…。なんせ気持ち悪いのです。

物語は最後、放送が終了し砂嵐画面になります。その瞬間、それまで熱狂していた視聴者は、チャンネルを変えろ。と、興味を失くします。トゥルーマンの人生も、ひとつのコンテンツでしかなく、消費されたら終わり。このあたりは、製作者側が訴えかける何かがあるのかも。