芥川龍之介の「河童」

ざっとあらすじ

主人公「僕」が、上高地穂高山に登ったときの事。深い霧の中で1匹の河童と出会います。僕は河童を追いかけ暫く走り、河童を捕まえるあと一歩!という所で、深い穴に落ちてしまいます。そのまま気を失っていたのか…僕が目覚めると、そこは河童の世界でした。河童世界は、人間の居る世界にそっくり。文明化されていて、銀座の柳通りそのままの風景。往来しているのが、河童なだけで。僕は河童世界では「特別保護住人」として、受け入れられました。そのうちに河童世界になじんで行きます。が、河童という生物は、とても奇妙な面を持っていると僕は徐々に気づいていきます。人間が真面目に考える事を可笑しいと言い、人間が可笑しいと思うことを真面目に考えたり。また、服で身体を覆う事もしません。雌が雄を追い掛け回したり、家族制度についても、どこかヘンテコな部分がありました。一番の違いは「生死観」について。河童は生まれてくる時に、生まれてくるかどうか、母体の中で胎児自身が決めるのです。また、死ぬのも、河童は非常に繊細な心を持っているらしく「お前は蛙そっくりだな」と言われ、どこが似てるのかと苦悩し死んでしまったり、悪口を言われて死んでしまったり。労働者は次々に解雇され、解雇された河童はガスで殺されます。そして死んだ河童の肉は、河童が食料として食べるのです。河童にも、様々な考えの河童がいて、悩む河童もいました。僕はそんな河童世界がだんだんと嫌になり、人間世界に帰りたいと思い始めます。ですが帰る道がわからず、河童世界の端に住んでいる見た目は少年の老人を頼ります。その老人が帰り道を教えてくれて、僕は無事に人間界に戻ります。ですが僕は、精神を病んでしまいました。事業に失敗し、精神異常と判断され逃亡。結局巡査に捕まって、精神病院へと入れられてしまいます。僕は病院で過ごしているうち「河童の世界に帰りたい」と考える様になります。行きたいではなく帰りたいと。ある日、僕の元に河童世界から、河童の友人であるバックが見舞いにきます。僕は泣いたのか笑ったのか覚えていませんが、非常に感動します。よくここへ来る事が出来たね。と言う僕にバックは、河童は川でも掘割でも往来できると返事します。ソレを皮切りに、河童世界から河童の友人達が、次々と僕を見舞いに来てくれました。ただし、バック以外の河童は月のある明るい夜にしか来ません。ある夜、哲学者であるマッグが、これもまた僕の河童の友人で、自殺した詩人のトックが死後に出版された詩集を、手土産に持ってきてくれました。そして河童の裁判官のペップの話を聞きます。ペップは職を失い、発狂して精神病院に入れられたと。僕はS博士(僕の主治医)が許してくれるのであれば、今すぐにでもペップのお見舞いに行ってやれるのですが…。という所で話は終わります。

大事な部分も大まかに端折りましたが、大体こんなお話です。

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河童という作品自体、芥川龍之介自身の苦悩や、心情が表れていると言われています。また、社会風刺的な意味合いも強い作品でもあります。

 

また様々な実在する思想家・哲学者・文豪の名前が出てきます。

 作中に

「これはツァラトゥストラの詩人ニイチェです。この聖徒は、聖徒自身が造った超人に

 救いを求めました。が、やはり救われず気違いになってしまったのです。もし気違い

 にならなかったとすれば、あるいは聖徒の数へはいることもできなかったかもしれ

 ません」と、あります。

これは主人公の僕が、河童世界にある宗教「近代教・もしくは生活教(生活教というよりも「食ったり・酒を飲んだり・交合を行ったり」)」を知り、その宗教の大寺院に行った時、長老から寺院に飾られている聖徒の像について、説明を受けている時の話です。ニーチェは、河童世界で「聖徒」として扱われていました。他にも国木戸独歩や、トルストイも出てきます。どうやら河童世界の宗教の中で、聖徒といわれるのは「自殺願望」を持ってはいるが、実際は自殺をしていない人。という括りがあるようです。

 

箇所・箇所でさらざんまい的な感じはある様な?気はするのですが、輪るピングドラムと「銀河鉄道の夜」のような、既視感は覚えませんでした。これはもう少しお話が進めば、あ!と思える場面がでてくるのか、そうでないのか解らないです。

 

共通点があるとすれば(河童→さらかっぱ)

自殺願望がある、もしくは決行した→放課後ラッパー

河童と獺の戦争→欲望をめぐり対立している

ピストルがでてくる→ピストルがでてくる

河童は、蛙といわれると死ぬほど悩んで死ぬ→蛙といわれるとキレる(ケッピ)

警官がでてくる→警官(レオとマブ)がでてくる

片手を目の上に当てるポーズをする→片手だけはさらざんまいポーズ?

芥川の河童の中で、河童と獺の戦争の発端は、河童夫婦の奥さんのほうが旦那を殺そうとして、飲み物に青酸カリを混入します。ところが、それを間違えて獺が飲んでしまった結果、戦争に…。だったと思います。河童の旦那には、高額な生命保険がかけられていました。殺されそうになった旦那も道楽者で、ろくでなしだったみたいですが。

それと河童世界では、獺の毛皮を剥ぎ取り、様々な商品として売っている。ともありました。さらざんまいでは、猫の毛でしたけれども。

あと、似てるというよりも不思議なのは、ケッピが要る欲望フィールドです。芥川の河童世界では、まるで人間世界の並行世界というか、パラレルな世界で、そこに居る生物が、人間ではなく河童。という感じでした。ケッピは、欲望フィールドの住人なのか、そもそも欲望フィールドには、ケッピ以外の幽霊?みたいなものは、人型のみなのか。それとも河童世界があって、そこの住人なのか。仮に、河童世界があるとしたらなぜ、ケッピしか居ないのか。コールドスリープしているのですから、もう何千年も前に絶滅したとか、そういう事でしょうか。それだとサラ(河童と仮定)の存在が矛盾します。サラレポートを信用すればですが。ケッピ自体が、人間界に存在していてるけれども、ニンゲンには見えない。という体なのか。このあたりも本当に謎です。カワウソの存在もどこに存在しているのか、謎です。何かの概念?

カワウソといえば、レオとマブは「欲望を手放すな ソイヤソイヤ」と唄っているのですが、本編でケッピは「欲望を手放すな」とは、まだ言ってないのです。むしろ、欲望が蓄積されている「尻子玉」を搾取し食べてます。カパゾンビのも。だとすると、尻子玉を抜かれた人は、欲望を手放した状態だといえます。

カパゾンビから取った尻子玉を転送する→意識共有→身も心も繋がる→それすなわち、さらざんまい。意味がわからない!キャッチコピーでもある「手放すな。欲望は君の命だ」的な事を言っているのはカワウソ側。どういう事…。カパゾンビから奪った欲望を、一稀も一度食べています。そのあとの「漏洩します」で、玉が3人を回ってますから、その時に尻子玉も3人の身体にそれぞれ戻るという仕組みでしょうか。だから、漏洩シーンでは人型に戻れている。そして最後、ケッピが食べるのはカパゾンビの尻小玉。カパゾンビは身も心もひとつになるさらざんまいしてませんので、そのまま死んでしまう。死に損だー?

 

川についても謎で、何かしら水を連想する絵はどんどん出るのですが、その水が何をさしてて、どういう意味があるのか。単純に考えますと、水というのは生死を連想しますが…。(劇場版ウテナでは、見事に表現されていました)

ティザーPVで「その河を渡れ」とあるのです。川ではなく河。この字の違いが非常に気になります。考えすぎかもしれません。河川ですから川でも河でもいいのかもしれません。ですが、近くを流れるのは「隅田川」なので、川ではなく河にした意味があるような、無いような。もし意味があるとしたならば、河とは隅田川ではない。そして三途の川(三途河と言う場合もありますが)でもない。だとすると、河があるのは「春河」です。河を渡る。というのが意味不明になりますが、そのあとに続く「もう戻れない」というのは、あの頃のようには戻れない。と言う意味には取れます。この編のティザーは、個人的に「一稀のこと」だと観ています。ですので、春河について何かしらあった。とも取れます。河を渡れというのは、こじつけると「春河のことを乗り越えろ」とも取れます。こうなりますと、春河の生死がなんとなく微妙な感じになりますが、2話で死んでいないとわかりましたし(過去の事でなければ)3話予告でも、燕太と話している様子が垣間見れます。ですので、春河は生きているとは思います。だとしたら、川よりも河のほうが様になるから。観たいな理由で「河」になさったのかもです。

川だと考えますと、隅田川や三途の川やら、色々浮かびますし意味もより、わかりやすくなりますから、川でも河でもいいんだよ!かもしれません。ですがとても、気になるのです。

ああ…「河童」だから、河なのね。