さらざんまい 橋からみえるモノと第四皿@予告

燕太のおばあちゃん、何者なのー!いや、おばあちゃんでしょうけれども…。それはそうと、ちょっぴり、浅草界隈の橋について色々あるんだなー。と思ったので。

隅田川は、江戸時代から人々に愛されてきたのが凄くわかります。

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まずはなんといっても「吾妻橋

赤が印象的で浅草の雰囲気とも、とてもよく合っています。関東大震災時、木製の板橋が焼け落ち、一時的な修復の後、今の形になったのは1931年だそうです。

 

 

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黄色が印象的な「蔵前橋」 関東大震災までは「富士見の渡し」で往来。

蔵前という由来は、江戸時代、幕府の御米蔵があったから。だそうです。

 

 

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青がとても鮮やかな「駒形橋」 関東大震災があるまでは「駒形の渡し」で、往来。そのあとに建てられた橋だそうです。近くに駒形堂があり、ご本尊は馬頭観音様だそうです。

 

吾妻橋から駒形橋に行く途中に、このトンネル。

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4話の予告で出ていた、幼少時の悠が居た場所と似ています。

 

他にも両国橋、桜橋など、隅田川にかかる橋はたくさんあります。

赤・青・黄色→一稀・悠・燕太と、イメージカラーが同じだなと思いましたので、上記の3つを選んでみました。

どの橋も共通しているのは、関東大震災。この後に建てたり建てかえられたりしたのですね。その当時、人々が体験した恐怖が、よくわかります。

橋があれば対岸に渡れたのに。そうすれば、失われない命もあったのに。生き残れた人、そうでない人、様々な人がいたのだと思います。さらざんまいという作品は別にしても、災害の恐怖は今生きる私達へのメッセージの様にも思います。

 

ソレを踏まえて、もう一度さらざんまいという作品を思い返して見ます。

「橋があれば、助かったのに」という想いから、出来た橋。橋はあちらとこちらを渡す役割です。あの世とこの世を結ぶもの。橋は「人との繋がり」 誰かが誰かを必要としてくれたならば。誰かと繋がりを持っていれば。きっと橋は渡れる。

 

レオとマブによって、ゾンビ化したカパゾンビ達は、昇華されると存在さえ無くなりました。誰とも繋がっていなかった。モットクレーも、音寧のスマホから消えていきます。本当の繋がりは無かったという証かもしれません。猫山も、彼女に振られていますから、繋がっている人はいない。箱田はそもそも繋がりがあったのか、なかったのか…。

カパゾンビ達も、一稀・悠・燕太も、今わかっている欲望は、大差が無いように思います。ある意味、自分の気持ちが優先している部分を持っている。でも、一稀たちは自分達の思いとは別に「誰かを想っている」という大きな違いがあります。相手を想うから、自分の欲望がある。その差はとても大きいはずです。春河もスマホに、カワウソアイコンが表示されていました。この先、もしかしたら…と言う不安は拭えません。春河の欲望は、もしかしたら「サラちゃん」かも?と思いますが、カパゾンビになり得る条件として、誰からも本当に想われていない。という事を満たしていません。このあたりに、人との繋がり的なものがありそうです。ですが繋がりって良い面ばかりでもないでしょうし。「独占欲」というものを、ユリ熊嵐で銀子は発揮しました。コレも欲望といえば欲望。特に燕太は、一稀を独占したい。と思わないのでしょうか。最初から感じていた「等身大」の燕太。あの子さえいなければ、あれさえなければと、欲望は1歩間違えたら、とんでもない方に転びかねません。一稀も悠も、今ある状況に応じた「欲望」があるわけで、本来の希望や欲望とは異なるものを持っている可能性もあります。こうなると、ドロドロとしてしまいそうです。本当はサッカーがしたかった。欲望は、その時々で形を変えます。あのことさえなければ、あいつさえいなければ。まさに銀子が、純花を「見殺し」にした理由そのものです。この先、3人の欲望がどう転がっていくのか、非常に不安でもあり、見逃せません。

 

また4話で、ちらっと悠の幼少期?頃の、家の内部がわかりました。もしかしたら、悠も昔はサッカーをやっていたのかな?と思えるものが、チラリと映っていました。悠の兄・誓に対する想いは、予告を見ているだけでも、非常に切ないです。きっと、憧れもあるのだろう事は読み取れます。誓は、悠を自分の様にはしたくないというのも、何となく解るようなシーンも。

ティザーの「本当のこというよ。君は繋がっているけど、一人なんだ」これも、スマホやネット等々で簡単に他者と繋がれるけれども、本当に君の事想っている人はいるの?君は誰かを、本当に想う事できてるの?とも、今見ると受け止められます。

 

3話最後に出てきた星の王子様。誰しもが知っているサン・テグジュペリの同タイトルの本。王子様はたった一人しか居ない星から、地球へやって来ます。そこで主人公の僕と出会います。僕は王子様が出会った様々な話を聞きます。その中で一匹のキツネと出会うのですが…。このキツネは王子様に、大切な事をたくさん教えてくれました。大事なものは目に見えない。そして王子様は、ちょうど1年後の地球に来た同じ日、星が1年前と同じ位置に来た時に、魂だけ故郷の星へ帰っていきます。肉体は重くてもっていけないから…。

面白いのは、寺山修司も同タイトルで、戯曲を書いています。

倒錯しているとも言えるこの戯曲は、ホテルの女主人・ウワバミと、そのホテルへ訪れる客・点子との話を中心に展開していきます。その他にも個性豊か(すぎる)登場人物が色々出てきます。この作品の中では「大事な事は目に見えない」というのを「見えないものだけみたら、見えるものなくなりますよね?」と、真正面から否定してくる。結局は、あなたの人生は虚構ですよね?虚構の中で生きてますよね?と、言っているのだと思います。これは、ウテナへも通じることで、虚構の世界で王子様ごっこしてますよね?的な、星の王子様へのアンチテーゼ。現代でも虚構というアニメの中で、こうして色々考える事も、これはどうだとか、ああだとか言ってることも結局、虚構ですよ?と、言われているとも捉える事ができます。虚構の世界に生きるピーターパンシンドローム的なもの、見えない物を忘れ、見えるものだけを見るようになる大人。この両方の何かを、寺山版の「星の王子様」は伝えようとしていたのかもしれません。ここは、人それぞれの感想ですので、こうだ!とは言い切れませんが。ですが、虚構は非常に強い。人はそこに入り込みやすく、出口をみつけにくい。

 

春河が指した「星の王子様」は、年齢的なものから考えてもサン・テグジュペリの方だと思います。が、幾原監督です。そこにはきっと寺山的な何かが、隠されているという線も拭えません。

 

 

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♪カッパになって ラッキー♪

♪カッパになって サイコー♪

第四皿 予告です。

前3回の予告とは違い、かなりの情報量が詰め込まれています。そして、非常にダークな雰囲気。新鮮なお野菜云々な一稀と悠のやりとりも、ほぼ頭に入ってきません。それくらい、絵のインパクトが強い。流れも非常に速く、次々流れていきます。

 

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しょっぱなから、悠に抱きつくサラ一稀。もうよくわかんないw知られたくなかったんじゃないのかよ!はっちゃけてるのは何故ゆえに。そして、手にカップ麺を持つサラ一稀。ラッキーアイテム?なのでしょうか。前3回からしても、回転人形が持つ紙に書ける文字数でないとダメでしょうから、多くても3文字まで。2文字だとベスト。カップ麺ですと、無理がある気が。今回のラッキーアイテムは、予告では出ていない?悠に抱きついてますから、ハグ?とも思いましたが何かそういう雰囲気ではありませんでしたし…。麺。メン。面。容器が緑なので、ワカメラーメン。ラーメン。ワカメ。緑のたぬき。タヌキ。なら、燕太の家に行けばいいですしね。一稀の持っているカップ麺は、緑の河童ワカメラーメンかもしれませんし。一体なんなのか。

 

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チラリと映る、悠の家(だと思いますが…)の中に、サッカーの応援メガホンが見えました。襖に貼られている言葉も、なにかしらサッカーに関しての言葉の様に見えます。

もし悠もサッカーをやっていたのならば、一稀・悠・燕太と3人共に、共通して「サッカー」というものが出てくるのですが。尻子玉も、下手したらサッカーボールのように蹴れそうですしね…w3人の尻小玉が合体して、大きなひとつの玉になり…。シュート!!というのもありそうな、なさそうな…。尻小玉は合体しない。とは誰もいってないわけですし。そういえば、尻子玉って、意外と大きいんだなー。カパゾンビが大きいから?河童状態の3人が小さいからそうみえるのかな?とは、思いました。でも、尻小玉をサッカーボールとするならば…。河童状態の3人ならば、ちょうどそれくらいの大きさになるかもです。希望の皿は1枚なのでしょうか。仮に、一稀・悠・燕太が「生ある世界に居ない」としたら。希望の皿1枚で3人の願いが叶う事。それは「生きたい!」と言う欲望ではないでしょうか。生きるという「欲望」を、それぞれが手に入れたら。また誰かと繋がる事ができれば。僕は生きたい、俺は生きたい、俺も生きたい。とそれぞれが願うから、やはり3枚必要なのでしょうか…w「俺たちは生きたい!」で、なんとか、1枚で…。河童の王子様なのですから、それくらい叶えてあげて!もしくは、僕を妊娠してください的な、どこか身毒丸のような展開?三つ子の誕生に…。そう考えると、アの世界って「あの世」というより、生まれる前の世界?とまで、妄想は膨らむ訳です。

ちなみに、カッパ像の木彫り?の置物のモデルらしきもの↓

 



マブが一緒に撮ってました。

 

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問題はレオとマブです。2~3とカワウソイヤのダンスも舞台装置も微妙に変化しています。今回も、変化が。3話の時に、太鼓から水の波紋→あふれ出すという、幻想的なカットがありました。今回は一面の水。水は生命の源、生死のメタファー。命の行方が非常に気になりますが…。

彼ら二人はカワウソ帝国?の、ただの兵士?だとは思えません。何かしらあるのだと思います。彼らが欲望搾取するときに、カワウソマークがまるで桜の花びらのように舞うなぁ…と思いながら見ていました。ツイッターにも、4月になったら、桜を見に行こうと、マブがレオに呟いています。花びら的なカワウソマークは、散り往く命のようにも見えます。レオの心臓はやはり、機械のように見えますが…。機械と言うよりも歯車。歯車は時間のメタファーの場合もありますが、二者択一というように、どちらかを選び時間を動かす。と言う風にも取れます。二つの運命とは、レオとマブそれぞれの運命ではなくて、河童かカワウソか。と考えれば腑に落ちる面も。そしてひとつの生命は、もうどちらかがどちらかを支えなければ、存在できない状態。とも捉えられますが。この二人もどうなっていくのでしょうか。もし…マブが既に死んでいる状態で、レオがマブを生き返らせたいと願う、逆もしかり。もしくは傍にいたいと願ったならば、カワ「嘘」になってでも、傍にいる道を選んだかもしれません。

 

 

欲望とは生きること。

欲望を手放してはいけないのです。