ニッポンノワール 番外編 ちょっと語らせて!

考察といいつつ、まったく考察にもなっておらず、しかも文章力のないぐだぐだな記事。それを恥知らずにも、ネットの海に放出しているという厚かましさ。いいのです。自分メモなので。という言い訳をしながら、好き勝手思うまま、校正も反省もせずにだらだらと書いている当ブログ。ならば!ここで、もっとぐだぐだ言ってやろうと。

今回は考察でもなければ、身になることなど1ミリもないです。ただの「お前の感想だろ!くだらねー(いつもですが)」ですので、何か少しでも考察ヒントがあれば…と思って、お立ち寄りくださった方は、リターンされるなら今!です。うっわ!時間の無駄・読んで損した!となる前に。

 

 

 

私は今回の6話を見るまで、正直「つまんねぇなぁ、なにこれ」と思ってました。暴力的すぎるのと、何かと言えば怒鳴る。男性はこういうシーンをどう捉えておられるのかはわからないですが、女性は苦手な方多いのでは?と思います。それにくわえて、意味不明なストーリー展開。それこそ仮面ライダーかよwwと1話で思いましたし、初見から人体実験かよwwってうっすらと思いましたし、それが、まじかよwwみたいな今回でしたし。子役の子は、棒すぎて「この子いるの?」と思いました。やたらと、設定がうそ臭い。マイナス点は本当山ほどあります。これを庇いつつ、面白さを言え!と言われたら、無理ですと投げ出すレベル。

今も半分は、ずるいやり方してんなぁと思ってますし、前半そういうやり方をして、後半に大衆ウケもってくる手法ってどうなん?と思っています。前半捨ててるやん。と。伏線やメタファーは、さりげなくあるからこそ、面白い。それに気づけるから楽しくもあり、やられた!!あれか!と思えるのです。それを投げ出して、とりあえず「これが伏線ですよ!」というこれみよがしのやり方は、観ている側からすると意味不明なだけ。大きなものを隠したいにも関わらず、様々な分岐を混同するから、余計に意味がわからなくなる。シンプルでいけばいい面ほど複雑にし、本来ならば複雑で表層に隠れた地下の層を、これですよ!ほら!と単純に見せている。これじゃ、はぁ?となるのは、無理はありません。一言でいえば「かっこわるい」のです。逆やん…と。

 

悪口はここまで。ソレにもかかわらず何故視聴し続けたのか?そこには、もしかしたらという「期待感」がありました。面白くなければ、切ったらいいのです。それこそ現代において、腐るほどコンテンツが乱立し、ネットでも自分が観たいときに、いつでも観れる。好きなものだけチョイスできる。そういう環境にあります。我慢しなくていいのです。でも、我慢をした。我慢と期待感。これは、前作の跳ね方も、大いなる影響があるのは否めません。(私は3年A組は、リアルタイムでは観ていません)

私が6話をみて、ああ!そういうことか!と思った一言がありました。先の記事にも書きましたが、才門の「品行方正」です。

何かと言えば暴力的、そんな警察あるかいwwと突っ込みたくなるほど、怒鳴る・殴る蹴る・バカばっか・右京さん見習えよ!レベルでした。でも、今考えてみると、抑圧されている自由って、今凄くあるんじゃないのかな?と思えてくるのです。

それこそSNSでもそう。何か少し道を外せば「悪!」と叩かれまくる。もちろん犯罪行為は叩かれて当然です。ですが、本質を見ようとはしない。表層だけで語る。まさにニッポンノワールの前半がそれでした。表だけみて、全てわかった気になり、どうせこうだろwと決め付ける。

時代の風・価値観というのでしょうか。そういうものは、どんどん変わっていきます。ですがその価値観を、変化させるというのは、至難の業です。でもいつだって、価値観をかえるパワーがあるのは「民衆」です。民衆が「悪」といえば、悪なのです。それって、凄く怖くない?と言う話。警察は正義であり、はむかうのは「悪」 勿論、そうでなければ困ります。日本は法治国家なのですから。ですが、その正義の定義は?となると、また難しくなり、正義とは?なぜ人を殺したらいけないのか?という課題になると、より一層難しくなります。ダメだからダメ。法治国家だから。としかいえなくなる。なのに、正義だの悪だのと、線を引こうとする。ソレと同じで、品行方正でないものは「悪」であり、去勢が必要となる。

ただし、人の命を奪っていい正義など、あってはいけません。そして、人の命を奪えば、目には目を・歯には歯を。なのです。人の命や幸せを脅かすものは、あってはいけません。どんなに間違えようと、生きていかなければいけない。そういった、本来のメッセージ性が、この物語に隠れている気がしてくるのです。

 

表層に見えているもの、地下になくてはいけないものも、実はたいした問題ではなく、それこそ「エンタメ」ですから、楽しめなきゃいけない、商業的にそれなりの成果がなくてはいけないのは当然です。ソレ含め、全部が全部表層でしかなく、本当の意味・言いたい事というのは、じわじわとしか見せてないのだと思います。抑圧された自由と、集団催眠的な風潮、こいつが「悪」と決め付けたら、それに同調する周りの同調圧力と、それに加担することで得る、自身のストレス発散。生贄をみつけたら、免罪符をもらって、一気に叩く。そこに逆らうものは「透明な嵐」にやられるのです。

 

タバコが面白い役割を果たしていて、抑圧のメタファーな気がしています。

今の風潮を鑑みると、喫煙シーンって極端に減っていますし、タバコを吸う=ハードボイルドみたいな感じも既に死んでいる演出だと思います。にも関わらず、タバコがでてくる。むしろ、喫煙することが、何かのヒントなんじゃ?!レベルで、非日常的な行為として取られかねない。これは、本当に非常に面白い。

 

「禁煙」と言う言葉で、趣向品さえも取り上げられる。子供がいるから仕方ないか。と本人もそれに乗る。でも最後、才門は吸おうとする。でも逆じゃん!みたいな。

そうやって1話からみていくと、回収されていく伏線が物凄いはずです。犯人探しの考察とか、表層でしかなくて、だからこそ粗雑。本当にやりたいことって、隠しまくっているのだと思います。だからこそ、挑戦的でもあり、時代への警鐘でもあり、エールでもある気がします。個性を大事にといいながら、個性をころして居る現代。だから、1話で、警察官でありながらみんな暴力的。なぜ警察官でなければいけなかったのか?それは、現代において「品行方正」の「見本」でなければいけないから。その中に居て、主人公の遊佐の設定も、癌だとか、なんとかかんとか。異端だから。やり方はどうであれ、情があっても「品行方正」でなければ、それは透明な嵐に混じらない、ハイジョ対象なのです。

それの反面が、宮城というキャラクター。まさに品行方正。警察官の鏡。何故刑事ドラマでなければいけなかったのか?は、このあたりにアンサーがあるのだと思います。

「品行方正」このワードがでてこなければ、きっと私は気づけなかった。何が言いたいのか?という事を。そして、いや、間違えてるからwってなるかもしれません。ですが、あまりにも本筋が意味不明な事になりすぎています。そのアンサーとして、どうしてそうなってるの?というのは、幾原監督信者ならば、気づかなければいけない点だった。というお話です。あなたは何をみてきたの?!と言う話です。

 

最後の最後「愛してる」を、この作品でも、聞くことができるのか?

テーマ性を貫いているのか?を見届けられるのか?ただのドラマだと思ってみていたら、痛い目にあうところでした。

ありがとう!才門!

平たく言えば、遊佐はプレイヤーの化身でしかなく、異端だと叩かれる「お前だよ!」というお話なのではないでしょうか。何故異端なのか。没個性で生きていくのは、どういうことなのか。プレイヤーの化身だからこそ、生々しさが死んでいく。揺れ動く設定になっていく。プレイヤーも千差万別ですから。

 

だからこそ言いたい。

 

「透明な嵐に混じらず 

       見つけ出すんだ」