さらざんまい 予告@第五皿目と後半アを考えみた

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♪カッパになって ラッキー♪

♪カッパになって サイコー♪

 

握手会、行われる様です。握手会というのですから、それっぽいホール的な所でやるのかなー?と思っていたら!公民館?演芸場?の様な場所でした。どうやら5656会館。

tokiwado.tokyo

さすが浅草。こだわりが凄い!

そして、握手会は春河の他に、ご両親と燕太が行ったのですね。なんか、もやもやしますが…。

 

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幼い頃の一稀も出てきました。春河が産まれた頃でしょうか。弟が出来た事が、非常に嬉しそうです。春河の小さな手が、一稀の指を掴みます。赤ちゃんならではの仕草ですが、この行動はとてもとても大事になってきそうです。

一稀が掛けているパンダ型ポシェット。花やしきのぱんだカー?がモデルかも。

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燕太の家にも、ぱんだカーの置物?がありました。

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観づらいですが、右上です。悠と燕太、サッカーのポスター・本。カッパの置物?と共通のものがありました。一稀と燕太、ぱんだカーと言う共通のものがありました。

 

 

 

 

サラちゃん誘拐計画。実行しちゃった模様。浅草観音温泉が映ります。

 

 レオとマブのTwitter

浅草観音温泉

ja.wikipedia.org

Wikipedeaにもあるように、2016年6月ボイラー故障の為に閉鎖。2018年2月に解体工事がされています。レオとマブが呟いた当時は、閉鎖されていない様に見えます。今は更地の様です。人も街も変わっていく。

 

2話の時、Beeタワーの有無が非常に気になりました。結果的にBeeタワーは描かれていました。その時は、花やしきといえば、Beeタワーでしょ!と言う想いから描かれたのかもしれないなとも、思いました。ですが、浅草観音温泉までも、解体前で描かれておられる。こうなると、無視は出来ません。浅草界隈をあれだけ綿密に描かれて、実際カッパ橋商店街の方もTwitter等々で、細かいところまで実物通りだ!とおっしゃられてますのに、ここだけ時代を遡る体で描かれるとは思えないのです。

 

Beeタワーも 2016年9月末日で運行が終わっています。

 

予告をみると、浅草観音温泉は廃墟になりかけています。解体前でしょうから、Beeタワーと合わせてみても、2016年の6月~9月末日までの間の出来事だと考えるのがいいのかもしれません。浅草観音温泉に、サラちゃんが入った後チラッとカレンダーが映ります。鮮明ではないので言い切れませんが、日数と曜日からして、2016年の5月のカレンダーかもしれません。ちょうど閉館する前あたりのカレンダー。ですが、数ヶ月でここまで廃墟になるものなのか…。

こうなりますと、いろいろとおかしな事が出てきます。1話の時、教室に貼られていたカレンダーは、2019年のものです。もしくは2013年?

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カッパ太郎の像を壊した後「なんじゃこりゃー!」で、大爆発しました。その後、一稀と悠は呼ばれていると、再び像の所へ行きます。その時に「記憶を消しましたケロ」と、ケッピが言っていました。なんの記憶なんだ?と思いはしましたが、朝起きた出来事なんだろうなーと、受け止めていました。どうやら、そんな単純な事ではなさそうな気配になってまいりました。

悠が奇妙なカッパマスクをつけて、サラちゃんを誘拐した模様です。なんで一稀のいう事聞くのw 一稀もさぁ、女装がバレ無いと思ってるあたり、どんだけー!って思います。自信家すぎるだろ!

そして、レオの感情が爆発しているみたいなカット。

悠と燕太も、なにやら揉めています。ケッピがヘソで茶を!というか、まさかのエクソシストポーズ!燕太のポーズは、ここに繋がっていた?…wだとすると、燕太のアレは、ヘソで茶を沸かすポーズということに。「春河なんて嫌いだ」は、笑止千万。と言うことでしょうか。尻小玉の次は臍。妖怪の好物?ばかり。

 

予告で一番気になるシーン。カッパ一稀が泣いています。何があったのか。感情をほぼ表にださなかった一稀。泣き喚きたい気持ちがあったのでしょう。ただただ、つながりを手放したくない。これだけの想いで。溢れる涙には、どんな感情が重なっているのか。

1話アバンのシーンへ行くようです。すべての始まりがここに詰め込まれている気がします。物語が、大きく動き出しそうな5話。

sarazanmai.com

先行カットで、一稀と春河が公園のくじら滑り台の上にいます。このときはまだ、春河の足は不自由では、なかったのでしょうか?

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多分、隅田公園のくじら滑り台。近くにコーヒーショップもありますので、いつもニャンタローに餌をあげている場所が、この周辺かもしれません。

とても美しいカットです。桜が咲いてますので、スカイツリーの色も舞か咲。

1話アバンで「かずちゃーん」と、春河が呼んでいるシーン。この時、桜の花びらが散ってますから、この後位に何かしら春河にあったのか、一稀にとって大きな出来事があったのかと、予想ができます。小さく見える一稀は、年齢はいくつくらいなのでしょう?春河はあまり変わってないようにも見えます。春河に呼ばれ振り向くシーンと、滑り台の上の服装は違いますし、一稀の年齢も随分幼くみえます。まだ二人で遊んでいた頃の話かもしれません。

 予告ですから、本編でどう転がるのかわからないです。が、予告から見えてくるのは時間軸の謎です。時間は巡るという事なのか、過去を改編しようとしているのか。ですが、記憶が無い前提ですから、彼らは改編したい。という意思が無いようにみえます。だとすると、誰の意思で改編しようとしているのか謎でしかありません。

 

希望の皿を考えてみた

4話の最後一稀は銀の皿を、悠に渡しました。もし金の皿なら、渡す必要もありません。金と銀の意味は、なんだろう?と、ずーっと考えていたのですが、行き着いた答え(今のところ)は、円環構造なのかもしれない。です。監督がトークイベントで、円環について、言及されていた様で、円環?円環?いま円環しているのは何だろう。そうか、皿だ!回転寿司手法か!と、少々突拍子の無い発想ですが…。そう至るに。

銀の皿は、ケッピから一稀に行き、一稀から悠に渡っています。そしてまた、誰かの手元に行き、最後には元の場所、ケッピの場所に行くのではないでしょうか。もしこれが金の皿なら、円環構造は生まれません。どうして銀なのか。どうして5枚あつめさせようとするのか。大人の事情(話数的に)で、5枚必要なのかもですが…。それでも皿は回っています。いや…回転寿司ではなくて。人の手から人の手に。燕太も、悠にそれをお願いしていました。悠も、誰かに皿を手渡すとしたら。そうなると間違いなく円環構造になるはず。円環のお話は、手塚治虫火の鳥や、ネオ・ファウストにもみられます。マドカマギカも、円環の理として出てきました。これらの作品は、人間自身が円環の時間の中で、同じ事を繰り返しているのですが、さらざんまいにおいては今のところ、皿が円環構造のきっかけを作ってるかも?という所で留まっています。どちらかといいますと、御伽噺や神話的な要素のほうが、現時点では強い気がします。

 

「ア」を考えてみた

 アも、わからないまま…。多分最後まで言及されない様な気がします。「1話をみれば分かる人にはわかる」と、監督ご自身が仰られたようで…。わからんわー!といいたいのですが、観りゃわかるという事でしょうから、何か気づいていない事があるのかもしれません。川うそ交番付近にはアが無い。アバンにもアは無く、大きなア看板が落ちて来て、カワウソ太鼓が表示→欠けたハートマークを皿の上に乗せて×の目をした河童のシールがカワウソ太鼓から剥がれる→型抜きされたアがばら撒かれるように川?に落ちる。それ以降、アが氾濫します。こうなるともう「あの世」しか、思いつきません。ですが、あの世マークが、車の中にあるの?とか、いろいろと不思議な事も。張り巡らせたアンテナや、アンテナのある物質な気がしたのですが…。アサクササラテレビにでてくる、アを信じろとか、ネコと和解せよみたいな物にしか見えないですし…。

もしかしたら「ア」に固執しすぎて、あれはアではない。のかもしれません。いや、どうみてもアでしか無いです。あれはアです。アじゃなけりゃ、なんなのよ!まさか、マとか言い出さないでしょうし。アホのアなのかなぁ…。頭がアホになりそう…。

アサクサのアだとしましたら、んなこと言わんでもわかるわ!ですし、そもそも、アのない浅草もアバンで出てきとるがな!ってなります。愛のアなら、道端に愛が落ちてるのかよ!となりますし、そもそも愛が氾濫しているのなら、4話までのカパゾンビ達もああはならなかったでしょう。アイ(自分)のアだとすると、愛と同じく自分を落としすぎだろ!ってなりますし、寧ろ意味がわかんない。アイスのアだとしても、そこまで強調することか?!ってなりますし、阿やラカニアンの対象aとか、1話だけ観てもわからんわ!ってなりますし、そもそも小難しすぎて誰がわかるんや…。ってなります。仮にそれを描きたいとしたら、阿とかaって描けばいいだろー!って思いますし。消去法でいくと、アンテナあたりしか残りません。が、標識までもアンテナになる?そして、カパゾンビが消えた後にアが出てくるのは…。あああーそうか!アンテナだ!繋がれる世界に戻るから、ア。レオとマブのTwitterに上司からの電話でア。電話で繋がったから。よしもう、アンテナ説で行こう!あれはアンテナだよ。アンテナ。アホよりまし!アンテナでFA!

アンテナですと、川うそ交番周辺にないのは、つながりがないから。その部分だけ違う空間である。大きなアが落ちて来て、火花を散らしているのは繋がりが消えそうだから。たくさん落ちてくるのは、それだけ繋がりをもって生きてきた証。たくさんの繋がりをもっているんだよ。という意味あたり?大きなアは、一稀にとって、それだけ大きな繋がりを意味していて、その繋がりが身体を抜けていく。血の繋がり。繋がりはアンテナで受信・送信している。円環構造だ!受信して送信してまた受信して…。やはり最初の方にになんとなく思った事って、大事なのかも。アンテナですと、スカイツリーの意味も、断然大きくなります。アはアンテナであり、意味は「繋がり」である。

燕太がケッピに吹き矢で、アマークをおでこにつけられました。あれも、感度を高くした・欲望フィールドと繋がれるようにした。と考えれば、意味がわかります。1話、ネコと和解せよ的な、アサクササラテレビに出てきた標語

心からアを信じなさい

アあっての自分

アをご自由にご覧ください

世界の アを叫

これらも、アンテナ(繋がり)を入れたら、なんとなーく意味は通じます。ご自由に御覧くださいって、鍵をかけてないSNS?幾原監督のTwitterとか、それこそ自由に拝見してますし。それはそれで、繋がりとも言えるかもしれません。誰と誰が繋がっているのか、見ようと思えばみれますし。有名人のSNSなんかは、誰と誰がお友達なんだろー?って、つながりをみますしね。一応、ご当地アイドルでもあるサラちゃんも、有名人枠でしょうからご自由に御覧くださいも、少々強引ではありますがそう捉える事が出来るといえば出来ると思います。

twitter.com

吾妻サラ役の帝子ちゃんのTwitterです。ご自由に御覧くださってみました!拝見した結果、2019年2月18日に、新アカウントを作られた模様。その3日後にさらざんまいのキービジュアル情報が解禁されてますので、多分さらざんまい関連で新しく作り直されたのかもです。

 

トークイベントで、アについて「検索してください」との発言があったとの事!えっ!検索しないとなの?!だとすると、何を検索したらいいのか取っ掛かりもなく、アで検索すると「阿」に行き当たります。最初の最初の最初、1話を見たときにぼんやり思い出したお坊さんのお話が正解なのかなぁ?始まりの世界?阿の世界…。確かに、悠には隈がありますが…。ですが、欲望とは結びつきませんし、世界観を現すときに阿というのは、非常に曖昧といいますか。阿吽形だとしても、カワウソ側が吽なら…。始まりが阿で終わりが吽 あっ!阿だ!

これだけダラダラ書いておいて、やっぱりアンテナは無い?!阿!カワウソ側のカワウソは口を閉じてます。アマークは?と思っていたのですが、4話の蕎麦久の中に

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わかりにくいのですが、左の窓側の横に、ピンクの○があります。この丸、蕎麦が1本でていたりします。アの文字はないのですが、なんで蕎麦咥えてるんだろう?と思いました。ア自体が口だとしましたら、蕎麦を食べているのもわかります。 アは阿ですから、始まり。カワウソは吽で、終わり。始まらず・終わらず。丸は円でもあり、開けている口であると考えれば、阿でもいけそう。

なんにしろ、アンテナなのか阿なのか。なら、阿って描いてよー!イケズー!

正解はあるらしいので、アンテナ説と阿説。両方残しておきたいと思います。ズルイ

でも個人的には「アンテナ」説を推したいんだよ…。

根本的な疑問として、「ア」は誰にでも見えているのでしょうか?1話アバンを見ると、アのない普通の浅草がありました。それが「ア」の氾濫する世界になりましたら、なにこれ?ってなりますよね。でも誰も、気にもしていない。アって私達がそう見えているだけで、作中の人物にはどう映っているのか。アの看板とかは違和感しかありませんが、アサクササラテレビで使われているロゴだとしたら、不自然さはありません。吾妻サラのロゴマーク的なものとか。浜崎あゆみが使っていたAマークのような感じで。私達視聴者目線からしたら、一稀の上にアが落ちて来て以降、アの氾濫世界になっています。アの世界への変更・キッカケは一稀。一稀が固執しているのは「吾妻サラ」です。春河と繋がる為に。こうなると、一稀目線からのアは、吾妻サラのア。悠目線からしましたら、兄・誓。兄のア。燕太からは一稀。特別な感情を愛と呼んでいいものか、友愛的なものだと思いますが…。愛とするならば、愛のア。

いろいろな意味が包括されてしまいますが、多分正解はひとつでしょう。

川にアが落ちていく。それまでは普通の浅草だったのに、アの世界になる。絵面だけをそのまま受け取れば、川の上はアの無い浅草。川の下はアの有る浅草。別次元のお話。分岐線は隅田川の水面。川の上と川の下との中間。そこが欲望フィールド。生きていて死んでいる状態。こうなるとまた「あの世」なの?って、堂々巡りです。アのある場所って、公共の場か外であり(今のところ)個人宅内には見当たりません。アモチーフのオブジェ的なものは、燕太の家にありましたが、それはまた別でしょう(吾妻サラロゴ的なもの)学校にも、アはありません。ピンクの丸は体操服の左胸にありました。それ以外は見当たりません。花やしきには、アマークがありました。家の中には無い。外には有る。阿吽や愛、対象aのような概念的なものであれば、そこまで拘りをもって、描かれないと思いますので、やはりアンテナだとかそういったものなのでは。と言う感じもします。

 

 

※そういえば、相棒の話で「アンテナ」というのがありました。ここでも「火事息子」という落語の話がでてきます。人それぞれアンテナを持っていて、感度がいいと相手の言葉に敏感になる。というお話でした。長い相棒シリーズの中でも、名作と名高いうちのひとつです

 ※EDのスタンドバイミー。OPのまっさらも爽快感が半端なく、両曲ともにさらざんまいの世界観に合っててイイ!となるのですが、特にEDは映画のスタンドバイミーを彷彿とします。そう思うと、内容もそれっぽい気が。スタンドバイミーは、原作者のスティーブン・キングの少年の頃の話とも言われています。キング自身も、少年の頃は恵まれていた環境とは言えず、子供に恵まれなかった両親のもとに養子として兄が迎えられるのですが、その後キングが生まれます。父親はその後蒸発し、母一人で子供を育て上げられました。当時としては、今のように母子家庭である事に、寛容さはなかったかもしれません。スタンドバイミーにでてくる少年達。あれはキングの分身で、彼が少年の頃の郷愁と、大人への成長を描いたものだと言うお話もあります。

そう考えてみれば、さらざんまいにも共通するいくつかの点を見出せます。線路に沿って歩いていく。その先に橋があるのですが、そこを渡ると深い森がまっています。まさに生と死や、少年から青年へ変わるといった、なにかのターニングポイント的な事柄を彷彿とします。ラストは「あの頃の様な友達はもう二度と出来ない」的な言葉で終わっています。小説版では、主人公以外の3人は、溺死します。ただこれは主人公の夢の中で…ですが。実際はそれぞれが成長した後、違う理由で死んでしまいます。類似点は見出せど、そこがどう繋がるのか?まではまだわかりません。ですが、芥川の河童よりは、こちらのほうが近い気がします。

非常に気になる第5皿目!

 

欲望を手放してはいけないのです。

欲望は、君の命なのですから。