さらざんまい 登場人物の立ち位置から見えるモノ
とうとう今日!楽しみです。
毎日、何かしらぐだぐだでも書こうとは思うのですが、考えれば考えるほど泥沼ざんまいです。
待ちきれず、ひまひまひま~!ですので今日は、登場人物たちの立ち位置・進む方向の法則性について考えてみようかな?と思ってます。立ち位置というのは、立場と言う意味ではなく、画面から見える登場人物の位置です。少しながくなるかもしれませんが…。5話全部やりますと、かなり膨大になりますので1話をメインに、残り2~5話は気になるカットを中心にやっていこうと思います。
※あくまでも私個人の主観でしか無い事をご理解ください。
まず、エリアを2つに分けたいと思います。左と右。
お約束ごとで、右から左に走るのは、未来へ向けて走っている・目的地に向かって走っている。ということになります。これが基本になります。ですので物語は通常、右から左へ向かって流れています。漫画や小説なども、右から左へページをめくりますので、アニメなどでは、そういった手法を取られているのだと思われます。
(洋画などは、邦画や日本アニメとは逆で、左から右へ流れていきます。また歌舞伎などでも、下手は左、上手は右になりますので、アニメなどとは逆ということになります。卒業式などで、証書を頂く時は左から右へ流れていくと思います。さらざんまいは、日本のアニメという事で、ここでは右から左が物語の基本形として考えていきます)
主要人物が左に向かって進んでいたら、その先が目的地・ゴールと言う事になるのです。
1話アバンでは、一稀は右から左へと走っていますので、目的をもってゴールに向かっている。と受け止められます。ここからが物語の始まりということも同時にわかります。
また、右側に位置しているものは、善であり、正であったりします。それに対して、左に位置するものは、悪であり、負です。感情の変化的には、左を向いてる場合は、ポジティブさ、前向きさを表し、右を向いてる場合ではその逆、ネガティブ・後ろ向き・不安など、を表します。左から右へ行く場合は、先の不安や、過去、非日常へむかっているなど、通常とは違う意味を指している場合もあるようです。
川沿いを走っていた一稀。「かずちゃーん」と呼ぶ声に立ち止まり、振り向きます。
ここで、いったん時間が停止します。そのきっかけは声。でも声の主はいません。声だけが走ってきたのです。既に進んできた過去からの声ですから、過去に振り返っているのがわかります。そして、2,3歩後ずさりをする。ここから、過去から逃げたい状況であることも読み取れます。後ろ向きではあっても、後ずさりすることで先に進もうとしていますから、過去を向きつつもそこから進みたいという心情もわかります。
そのあとすぐ「ア」が落ちてきます。アが落ちてきた場所は、左側。進行方向です。その音でまた一稀は、進行方向へ顔を向けます。ここでまた、未来を見ました。これで、先に進むきっかけ・鍵は「ア」である。ということがわかります。
※落ちてくるものといえば、ラピュタではシータ。パズーが、天から落ちてきた少女・シータをしっかりと受け止めます。また、化物語ではアララギくんが戦場ヶ原さんをしっかりと受け止めます。そして勿論、ちびうさも、空から落ちてきました。落ちてきた少女をしっかりと受け止めた時点で、物語は丸く収まる事が決まります。もし受け止められなかったら、その時点で終わりですしね。そして、受け止めた相手は少なからず、落ちてきた相手にとって重要な役割を果たします。
人でなく物であっても、天から落ちてくるものは非日常感を煽ります。不安や絶望感を煽ることも。小さなもので、上手く受け止められたら、そこで非日常であってもこの先、うまく対処し、大団円を迎えるだろう未来が読み取れます。受け止められない、受け止められないほど大きなものが落ちてくる。こうなりますと、一人の力ではどうにもできません。そこから逃げられない逆境が予測されます。アの場合、受け止められないけれども、隕石ほど大きくもない。だとすると、人類巻き込んでの逆境というよりも、一稀自身が抱えきれない非日常・逆境だと考えるほうが、妥当だと思います。
ですが、アは自らが火花を散らして、一稀を通り抜けていきます。一稀自身が避けるのではなく、それを受け止め、体を通り抜けていくのです。
一稀に落ちてきたアは幾重にもなり、まるで螺旋の様になっています。時計回りとは逆回転です。ここで思うのは、過去への回帰か、タイムリープ的なものです。落ちてきた「ア」は未来・進行方向にありましたが、落ちてくる「ア」は、過去へと繋がる要素満点に描かれています。
ここでまた、一稀は右側を向きます。過去を振り向いています。一度立ち止まってますから、未来へ向けての不安ではなく、時間の停止と過去視点ということになります。
ただ場所が、川べり。横には隅田川が流れています。川は絶えず流れているもの。時間は止まりません。そこの横で足を止め、非日常経験をする一稀という構図は、非常に意味深で、面白いものだと思います。それと同時に、水という視点からみると、生死がつきまといます。このあと、一稀は落ちてくる何個ものアにまみれて、水の上に立ちます。これは、止まらない時間・不可逆な流れの中に居るとも受け止められます。もうひとつ、生死の狭間にいるとも。
悠も右を向いています。ここから、過去に目を向けていることがわかります。
対して燕太は、まっすぐ前を向いています。ですが、視線は右です。やはり彼も過去を見ていると受け止められます。
夢から覚めた一稀。また、左を向いてますので、現在進行形・物語の本筋に戻った事がわかります。
このあとOPに行きます。
OPでは、一稀・燕太は右から左へ。未来へ向かって歩いています。物語の流れどおりに歩いていく姿です。悠は、前を向いてあるいていますから、前向きに歩いていると受け止めていいとは思います。二人とは進行方向の違いがありますので、多少二人の差があるかもしれません。
他にも、両手で箱を持つ一稀と、片手で箱を持つ悠と燕太。ここも気になるところです。通常、両手で物をもつときは、重さがそれほどでは無い場合、大切なものや、落としてはいけないものなど、それ自体に意味があります。
OPでのカット。上2つ共に、左から右へながれていきます。上は、アからカワウソマークに。下は江戸風ピクトグラムからアに。左から右へと、通常の流れとは逆行していますから、過去へといっている事がわかります。また、未来との逆行ですので、死へ向かっているとも言えます。ここは、人→ア→カワウソという構図でも考えられるかもしれません。
このカットでは、左に居る人物は未来側に立ってますので、右側に居る人物と過去になんらかの関わりがあることが示唆されます。注目するのは、右側の人物の目線です。
春河は左を見ていますから、未来をみています。
燕太は、一稀との過去への拘りがわかります。一稀は未来をみています。
悠は誓との過去への拘り。誓の目線は、右・過去を見ています。
玲央は真武との過去への拘り。真武は過去をみています。
右側に居る一稀と春河は、左に視線があり、未来をみていますから、先の未来がある。生きている。と見ることができます。それとは対象的に、誓と真武は右に視線があり過去をみていますから、生の無い人間。もしかすると、すでに死んでいる・もしくは死が待っていると考えられます。
最後、ケッピから出た虹が左から右へ流れていきます。これは、未来から過去への架け橋と受け止められますから、右から左へ行く人のための架け橋。ですので未来や希望の象徴とも言えます。その架け橋を出したのは、ケッピです。ケッピは彼らの未来への架け橋的存在になりえる事を、示唆していると考えられます。
Aアバンに入り
一稀は、通常とは逆方向、右から左へと移動していきます。ここでわかるのは、過去へ戻っている事。もしくは、逆境の中へ入ろうとしていることなどが考えられます。橋は場所移動の手段でもありますが、過去と未来を繋ぐものと考えましたら、過去へと戻っているとも受け止められます。
橋をわたった先では、右から左へ、物語の流れに沿って歩いています。
橋をわたるシーンから、ここまでで予測されるのは、過去の出来事から逃げられない状態で、物語が進んでいくこと、そこから進めない状態であること。過去に縛られているということ。
カパゾンビとの戦闘シーンでは、立ち位置が逆転します。これは、上手と下手で主要人物たちから見て、優位性のある怪物や、弱者が強者を倒す時にこの配置になりやすいです。戦闘シーンのあるアニメは、主役が右・敵が左。というパターンも多いと思います。この場合はまず最初に、大きな敵という位置づけで右にゾンビを置き、最終的には、背部に回りこんで通常の流れどおりの位置、右から左へに沿う形になります。
後ろに回りこみ、優位に立つことができます。
ですが5話で、失敗してしまいます。
その時の一稀の動きは、左から右へ→→→流れていきます。不安や同様、ネガティブな感情を表していたと思います。
勿論尻子玉も、左から右へ流れます。
通常、尻子玉を抜いたあと、漏洩タイムに入ります。
この漏洩は、尻子玉は右から左へ。一稀・悠・燕太は左から右へ流れていきます。
1話の漏洩は一稀でした。一稀にしてみたら、自分の過去の事ですので、左側に位置し、右に視線があります。
燕太は知らないことですから、未来側、これから知る立場で視線は左を向いています。
ケッピが尻子玉を抜くときは、右側にいます。これも、右側から左へと進む、尻子玉を抜くことがネガティブな意味では無い事の表れ?か、未来へ進む手段なのか、現時点では悪の意味は無いと思われます。
4話、Aパートでの誓。方向は左を向いていますが、目にサングラス。未来を見てはいますが、ちゃんと見えていない状態です。
ここから読み取るに、電話の相手である悠の未来を案じはしていても、その未来は見えないとも。その電話相手の悠ですが
過去に由利鴎を撃った拳銃を持ち上げて、それを見上げています。前向きな未来をみるのではなく、つかみ取れない未来、目的が見えない夢想している状態とも言えます。
悠は誓と一緒に居たいと願っていますが、それは悠にとって、必ず得られるゴールではなく、寧ろ夢物語のようなもの。という風にも捉えられます。
「近いうちに迎えにいけそうだ」という誓の言葉に、本当か?!と、起き上がる悠。ですが、視線は右を向いています。それは嘘であり、実現しないことと、このシーンでわかります。
5話で
左にサラ、右に悠という立ち位置になっています。これは、左側にネガティブなもの、敵を置くという意味ですが、この場合は「得体の知れないもの」「未知のもの」と捉えたほうがよさそうです。
同じく
このシーンでは、左に一稀右に春河たちです。この場合は過去ではなく、一稀視点では、ネガティブさ、春河視点からはポジティブさ。一稀からは嘘と言うワードがでてきます。一稀は、偽サラで嘘をついていますので、この立ち位置になります。
同じ左でも、状況によってネガティブさにも、色々と見てとれます。右でも同様です。
このシーンでは、一稀の敵・脅威となるサラのマネージャーが左にいます。それをとめる燕太は右です。
このシーンでは、右に居る方が主導権を握り、左にいるほうは完全に受身になります。
過去をみていますから、一稀視点からは右を向いています。
5話で、一稀の実母が電車に乗るシーンでは、左から右へ移動しています。彼女は帰還している、元のホームへ戻っている状態を表しています。
一稀と春河のシーン。過去に戻ろうとする一稀を、引き止める春河。
ここで一稀は、また未来へ走り出します。実母ではなく、春河との未来を選んだとも言えます。
まだまだ、色々あるとは思いますが、違う視点からみていくと、色々と面白さがあります。6話もまた、立ち位置や視点をみていくと、色々見えるものがありそうです。
長々と書きましたが、どれも戯言です。本当の意味や、秘められているものはまだわからないですが、暇つぶしになれば。と思います。