ユリ熊嵐~6話前に~

今日とうとう折り返しの6話ですね。先行上映会には、残念ながらいけなかったのですが、行かれた方のお話だと、凄く有意義だったみたいで…。羨ましいです><

 

ユリ熊嵐を説明・もしくは考察なさっている折に「三毛別羆事件」を元に書かれた「熊嵐(吉村昭著)」を元に~という物を結構な頻度で目にします。確かに、この事件との繋がりがあるのかも?と思うのですが、「熊嵐」と言う言葉は、確かにここから?来ているのかもしれません。逆に偶然だよ。と言うのには無理があると思います。ですが、事件そのもの(熊が人を食う)と言う部分に焦点が当たりすぎているなぁと言う感じがして仕方ないのです。

 

確かに史実の出来事で、とてもとても残酷で悲惨極まりない事件です。が、この熊嵐という小説は、そういった事件そのものだけでなく、当時の時代背景や何故熊がそういう行動を起こしたか?という所も、きちんと描かれています。また、当時にあっての村社会という構造についても、描かれていると思います。

もし、この熊嵐が関係しているのであれば、私は「熊が人を食った」という所でなく、事件が起こった背景のほうに、重点を置かれてたのではないかな?と思うのです。これは、個人的な感想でしかないのですが、熊嵐の作品中では熊そのものの存在が大きく出ているわけではなく、見えない「熊」という存在に恐怖し、不安に陥っていく人間の心情をメインに描かれている。そんな感じでした。そこで現れた、いわゆる嫌われ者のあぶれ者、銀四郎。という流れで…。

 

何かユリ熊嵐と、共通している部分があるとしたら、熊が人を食う。という部分ではなく、村社会で起きた出来事と、事件が起きた時代背景。こちらだと思うのですが…もしかしたら、全然違うかもしれません^^;でも、ある意味においてですが「透明な嵐」は「村社会」に通じるものがあるかもなぁ。と思います。そして、熊が人を襲う理由も、まさに断絶の壁のようなものです。断絶の壁が工事中というのが、とても印象に残りますし。しかも、壁なのに建ててる場所や大きさ・形はまるでばらばら。共通しているのは、デザイン。私はあれが、高層ビル群に見えて仕方ないのです…。昔はお互いのテリトリーを破らずとも生活が出来ていたのに、何故、テリトリーを破って、人間の住む村にきたのか?なぜ、そこで人を襲わないといけなかったのか。そのあたりも、関係しているのかな?と悶々としております><

 

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いまさらなのですが…。1話のシーンで、後ろの半球の部屋の所のガラス部分、紅羽の顔のちょうど横辺りなのですが、黒い影が百合の形に見えて仕方ありません^^;もう少し違った方向からみると、棒に吊るされた人形?首吊りしている…みたいに見えちゃいます…><これこそ偶然と言いますか、私にだけそう見えるだけで意味はないかもですし、そう見えるかも?レベルで大した問題ではないかもしれません><そもそも、だから何?レベルですので…。

 

 

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4話の、紅羽の部屋でのワンシーン。

銀子の首にかかっている星型のネックレスが、紅羽のオルゴールの中にも見えているのですが…。こうやって見てみると、オルゴールの中のデザイン見たいに見えなくもないですね。立体感がないと言うか…。

 

 

今日は6話目ですので、ここからどう展開されていくのか楽しみです。5話の最後とらばさみに挟まってしまった銀子はどうなってしまうのか?純花の手紙の内容は?薫含めクラスメート達がなぜ、紅羽に対してああいう行動をとったのか?この辺りが今日明かされるといいなぁと思います。明かされた所で、また新たな謎が出てきそうですが^^;

 

あと、ユリについて…。

私は別段、ユリ作品がすき!と言うわけでも、嫌い!と言う訳でもないのですが、このユリ熊嵐に関しては「耽美さ」と言う面で、とても欠如していると思います。決して悪い意味ではなく。耽美さとエロさ。というのは私の中では、似て非なるものです。正直「えろい」と言う物は、あまり好きではないです^^;具体的にあげてしまうとアレなのですが、やたらと胸の大きさを強調しまくるようなもの、なぜかパンツをアピールするようなもの、無駄にボディータッチの多いもの、あからさまにエロを意識しているもの。こういうものは、苦手です><もちろん、こういったものが駄目!とかそういうつもりはないですし、需要と供給のバランスで求める声があるからこそ、こういう作品もあるんだと思います。

 

耽美さは何が違うの?って話ですが、これまた個人的な見解と申しますか、超個人的な話ですが…。前回の日記でも少し書きましたが、セーラームーンのウラヌスとネプチューン、はるかとみちるには激しく耽美さを感じました。彼女たちは、パンチラした訳でも、巨乳な訳でもありません。また、少女向けと言う事もあったのかもですが、露骨に性的な表現はしてませんでした。なのに、耽美…もう1歩すすむとエロではなく、エロスを感じました。手を絡めているだけで。ウテナの劇場版もそうでした。

ユリ熊は、この2作品に比べると、はっきり言ってエロ的表現があからさまですし、ユリ的要素も同じくあからさま?です。なのに、エロさも耽美さもないのです。

ひとつは、キャラクターの絵柄があると思います。どちらかと言うと、萌え絵?と言うのでしょうか…。可愛らしい感じの絵で、そこまでエロエロしてない。というのがあるのかも。

 

それと、忘れがち(私だけかも…)ですが、これは熊が人を食うのです。ゴリゴリガリガリと。そこにエロや耽美さは不要だと思いますので、これでいいんだ。と思います。

 

私は、ユリ的要素を物凄く求めていた訳ではないので、逆にユリユリしくなくて、ホッとしてます><というよりも、やっぱりその部分は、大きな問題ではないのかな?という答えに行き着きます。

ユリ作品を純粋に描きたいのであれば、もっと違う方向からのアプローチが出来たと思いますし。ユリだろうがそうでなかろうが、どっちでもいい。問題はそこじゃない。と言った感じでしょうか。ただ、この作品を描くには、ユリであるほうが、要素的に色々と都合がよかった。こんな感じかもしれないです。