ニッポンノワール 6話 考察前の感想 メタファーの塊回

怒涛の第6回

異化からの同化が始まった感のある回でした。最終対決は、遊佐VS宮城でしょう。

正直、再編集したのだろうことは、本当手に取るようにわかりますし、70年代あたりの…下手したらそれに影響受けただろうな的なエヴァンゲリヲン的な視覚効果がふんだんにありました。それが、現代仮面ライダーに通じる道?なのでしょうか?

(このあたりは、私にはわからないですが…)

犯人探しもさることながら、メタファー的なカットが物凄く多い。それと同時に普通にみていてもわかりやすさがあり、前5回からのテンションからは、かなり上げて行けそうな空気感はありました。

「あぶない刑事」を彷彿とするカットは、誰が見てもすぐわかるのですが、それもさることながら、ああ、こういうことやりたいのねみたいな、端々に映るものに影響が感じ取れます。そこを違和なくストーリーにぶちこんでいるのは、ああー!と、頷きもかなりありました。

たとえば、才門のシーン。一昔前なら、死ぬ時「タバコを吸う」という様なシーンが、ハリウッド映画もさることながら、日本の映画・ドラマ問わず、とりあえず吸っとけ!みたいな感じで流行した時代がありました。

ココで面白いのは、才門は「逆」を咥えています。その前に、遊佐との会話で「人間って」という質問をしていました。才門は「品行方正に生きていかなきゃいけないみたいな空気感」とたとえていました。でも、欠点が魅力なんだよな。と。

 

現在、何かと言えば「禁煙」「タバコは悪」みたいな風潮があります。それがいいとか悪いではなくて、才門の最後のシーンは、まさにそこに通じている様な気がします。今の時代、タバコを咥えて、命の炎がつきるというのは、ああいう感じになるのでしょう。こういった、時代を反映しているだろうシーンと、昔みて「かっこいいなぁ」と思えたシーンが「うわwかっこわるww」みたいになる感覚と、それが相まって面白さが出ているシーンが、多々ありました。

犯人探しもさることながらですが、そういうシーンが面白い。

そもそも、一昔も二昔前の、死に際にタバコを吸って…みたいなシーンは、煙やタバコが尽きる→命が消えていく…という儚さや、人生の掴み取れない感じを表したメタファーだと思います。そこが逆なのです。これは面白い。現在の時代背景を鑑みてという視点と、逆を咥えることで、煙が出ていない→尽きないというメタファーになっている可能性が多大にあります。私が待っていたのはこれ!!なのです。非常に面白い。

 

とりあえず、今回の6話は視点を変えても楽しめそうな回でした。もう一度見返してから、考察を上げたいと思います。