ユリ熊嵐 12話(最終話)を前に~
最終話前に、この3ヶ月間ユリ熊嵐を見てきて、自分なりに思った事を色々と書いては見たのですが。全然纏まらない所か、自分で読んでいても「??」となる様な文章しか書けず…。情けないと言うよりは、もう、お手上げ状態です。ですが、最終話前というのは今しかないですし、後から見て自分が、こんな事書いてたのかと笑えるかもですので、記憶の記録として、残しておこうかな…と思います。
(あくまでも全て、個人的に感じた事です)
本当個人的な所感であり、妄想であり、変な文章で「何言ってんの?」だと思いますし、だらだらと長いだけだと思います><
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「あなたのスキはホンモノ?」
この台詞、物凄くたくさん出てきました。ホンモノのキスもそうです。スキに本物も偽物もありません。その人それぞれの感情なのですから、正解なんて無い筈なのです。なのに、何度もこれを繰り返している。象徴的に描かれていた「鏡」
スキはホンモノ?私はここに、ヒントがある様に思っています。
自己犠牲を払ってでも貫ける愛が「ホンモノのスキ」
だとしたら、鏡を割ると「本当の友達」がいて「約束のキス」ができる。という事に少々矛盾を感じます。
鏡に映っているのは自分です。自分を打ち破るのですから。自己犠牲というのとは、何か違うなぁ?と。
鏡に映すのは自分ですが、鏡に映る自分は「偽物」であるはずです。言えば「虚構の世界」がそこにはあります。
虚構の世界、嘘を破ればホンモノのスキがあるのではなのか?と思うのです。じゃあ、虚構の世界って?となるのですが。
ユリ熊嵐では、これも象徴的に「スマートフォン」が使われていました。スマートフォンにかかって来る通話相手は「非通知」になっています。どこの誰なのかわからないにも関わらず、紅羽始め、皆電話を受け取ります。そして聞かれるのが、上記の台詞です。9話、10話では、ユリーカと蝶子が紅羽に電話を掛けていますが、それにも紅羽は疑問を持っていません。スマートフォンの中、通話口の向こうは誰なのかわからない。それはネットにもいえます。ネットの中もある意味「虚構」があります。ユリーカは、ボイスチェンジャーで声を変えて電話をしています。ジャッジメンズのフリをして。偽者です。蝶子はトモダチのフリをして、紅羽の家に銀子とるるが居るのか探っています。全て偽物です。ジャッジメンズは、よくわからない空間に居ます。現実ではあり得ない空間です。ウテナでいえば決闘広場。ピングドラムでいえば、プリンセス・オブ・ザ・クリスタルの空間。虚構の世界。(注:イメージ映像です)というような感じです。
透明な嵐さえも、その嵐に属している子たちの間に友情はあるのでしょうか?そこに居れば、身を守れる。という理屈で一緒に居るのでは?と思います。それも「虚構の友情」なのです。
個人的に感じているのは、ピングドラムよりもウテナに感じた物とユリ熊嵐は、近いものがあるなという事です。
特に劇場版には、類似点をいくつも見出す事ができると思います。わかりやすいのは、屋上の薔薇園と嵐が丘学園の屋上。構造が同じように、三角形の先端を画面の真ん中に描いておられます。ウテナでは、水でしたがユリ熊嵐では鏡。このあたり、ウテナではとてもわかりやすく「虚構」という映像を見せてくれていました。ユリ熊では、鏡は鏡なので、そこに映るのは自分です。ですが両方とも、映るものはホンモノであり、ホンモノではない。絵本もそうです。絵本はまさに「虚構の世界」です。ユリ熊嵐という作品を通して、さまざまな場面で「虚構の世界」は提示されていたと感じています。人間側の名前が出てくる時に「ヒト」ではなく「ユリ」と提示されていたのにも違和感しかありませんでした。ですが、作中の台詞では、人間の事は「ヒト」や「人間」と言います。一度も「ユリ」と言ったことはありません。そして、これでもか!というくらいに、ヒト世界では、男性が出てきませんでした。正直「いらないジャン?」と言う話かもと思いますが>< でも、種の存続といいますか、生物学的に男性性は必要不可欠です。ユリの世界だから、居ないの。で、全然問題ないですが、でも、澪愛が紅羽を産んだ時点で「え?!」となってしまうのも事実です。そこを描いてしまうと、男性性が無いのはなんで?と、思ってしまう。でも、そこにも言及されていません。
余談ですが、ウテナは当初の企画段階では、私たちの知り得るウテナとは、全く違っていたと言われていました。
そこにあったのは「少女のキスが、世界を革命する!」と言う物。ユリ熊嵐では「約束のキスだけが、世界を変える」と、銀子は紅羽の妄想(?)の中で言っていました。
「自己犠牲」
劇場版ウテナでは、アンシーとウテナは最後、キスをしながら世界を打ち破り、新たな世界へと旅立っています。TV版では、ウテナは100万本の剣をその身に受け、世界から消えました。私はウテナやピングドラムが語られるとき、「自己犠牲」という言葉を聞くとなんだか「ムズムズ」するのです。本当にそうなのかなぁ?と。確かに、自分の身を犠牲にしてでも守りたい人が居る。というのはあると思うのですが、ウテナは、自己犠牲を払おうと思っての行動だったの?と。アンシーを守りたいからと言うだけだったの?と。私には、その先の未来の為だと思えて仕方ないのです。
ウテナはこう願いました
「十年後また一緒に、こうして、お茶を飲みたいね」
一緒に未来を見たいと願ったのです。ウテナとアンシーの約束がそこにはあります。その為にアンシーを守りたかった。救いたかった。彼女と笑いたいから。決して、自分は居なくなっても。とか思っていません。
結果的に、ウテナが消えてしまった。という事であって、それは自己犠牲とは、なんだか違うんじゃないのかなぁ?ともやっとするのです。だからこそ、アンシーは世界の「境界」を越えて、ウテナの元に行こうと旅立ちます。トモダチの扉の「境界」を越えて行こうとする者たちも、そうだったのではないのかな?と思います。
願いを共に叶えたい人がいる、約束している人がいる。
ユリ熊嵐においても、銀子は「約束のキス」をもらう為に、紅羽の前に現れました。紅羽との「約束」。
約束とは何なのか。何もないのに「約束」とはなりません。だれとの約束なのか。クマリア様なのか、紅羽なのか。
どちらにしろ、鏡を打ち破らないと、それは手に入りません。
欲望という名の幽霊という名の蜜子との別離も、ある意味虚構です。蜜子が本当に、ああいうことができるとは思えません。イメージ映像なのは明らかです。ただ、欲望や本能はあるとは思います。それを具現化したイメージが、蜜子なのかもですが。そういう蜜子を銀子は、受け入れて認めています。だから、蜜子は銀子の前のみで「存在」していた。ほかには見えては居ないのです。でも、そんな虚構(イメージ映像的な)の蜜子を銀子が、否定したら。存在を「承認」しなくなったので、もう存在する事はできません。欲望に勝ったというよりは、蜜子の存在を消したのです。だからこそ、願いと言う名の欲望は、まだ残っているのかな?と。蜜子の存在を消しただけなので。
鏡を割るシーンも、実際鏡は無く、屋上への扉を開いただけのはずですし、あの階段も実際に現れた訳ではないはずです。BGMが壮大すぎて、逆に違和感を覚えるほどです。
心象風景を具現化して見せられていたり、どこかしこに見える虚構。クマリア様だって、よくわからない存在なのです。誰かが作り出した幻影かもしれない。ジャッジメンズに関しても同じです。
ユリ熊嵐で言う「ホンモノのスキ」は、虚構の中ではなく、現実にちゃんと存在していて、真実であるのか?と聞かれている様な気がするのです。気持ちの問題ではなく。だから、ホンモノのスキは、嵐の中に飛び込ませるんだと。自己犠牲とかではなく。虚構の中のスキじゃないから、ホンモノだからできるのだと。
怖いのは、鏡に映すモノ自体が虚構じゃないのか?と言うこと。本当に存在しているのか?と言うことです。誰にも認めてもらえなければ「存在」しえない。だから、認められなければ「存在」できない。自分が本物であるために「承認」してもらい、虚構であるものを打ち破り、そしてキスをできたときに、自らの存在も、スキも「ホンモノ」だと証明できる。変な話かもですが、例え肉体の無い「幽霊」だとしても、その幽霊の事を「承認」し「認める」物が居れば、それは「存在」しているのです。そして、承認するヒトがたくさん居れば居るほど、間違いなくそのモノは、そこに存在しているのです。死んだ後の蜜子と、それを受け入れた銀子のように。逆に、肉体も生もあるのに、誰も「承認」しない「認めない」存在だとすると?それは、存在しないという事になるのかもしれません。ヒトリカブトの銀子のように。
お互いが触れ合う事、ぬくもりを分け与えあう事、お互いがお互いを受け入れる事。そうすることで、そこには「ホンモノ」が生まれるのではないのかな?と。ホンモノのスキが。
だからこそ、約束のキスをすることで、世界は変わる。本物の証明ができるから。
その先には、何が起こるのかはわかりません。彼女たちの存在がどういう立ち位置だったのか。
ウテナなのであれば、鳳学園という卵の世界を打ち破り、そこから飛び出す事ができました。ピングドラムであれば、運命の乗り換えをしました。じゃあユリ熊嵐では?となるのですが、ウテナのように、違う世界へ旅立つのか、ピングドラムの様に、運命を乗り換えるのか。
今、ユリ熊嵐の世界で描かれているのは、ヒトの世界とクマの世界。
この両方共に、銀子と紅羽が生きていくには、厳しい世界です。それを二人で乗り越えると言うのもあるかもしれませんが、あまりにも壁が高すぎる。なら、運命の乗り換えをするのか?と言う事ですが、何をどう変えるのか。クマとユリが共存できる世界?クマかユリが本能を捨てるのでしょうか?種が違えば、ルールも違う。それをも乗り越えれるというのは、疑問です。どちらにもルールがあり、どちらかがそれに習うと言う事は考えにくいですから。
「TERRITORY」「あの森で待ってる」
「花びらがゆっくりと 二人を包むよ 星の夜に」
この歌詞が、11話でのるると銀子の事のようだ。と前日記で書きました。ですが、銀子がなんらかの約束を、星の夜にユリの花の中で紅羽としていたのならば、もう一度、このシーンが見れるのかも?と思います。
「亡骸の美を知った」
亡骸の美というのは、それこそ自己犠牲の事を指しているのか、捕食する事をさしているのか、少々汲み取りかねますが、跳ねる赤が星座を描くようにというのは、間違いなく「飛び散る血」の事だと思います。肌を傷つけたい、裂きたい。これは完全に獣の「本能」ですから、その本能をむき出しにする前に、いいから撃ってよ!って事なのでしょうか。
どちらにも「断絶」「風」「傷」「透明な嵐」「教会・境界」など、同じ言葉が出てきます。もちろん、同じ作品のOPとEDですから、同じワードが出てくるのは、当然と言えば当然なのですが。それプラス、どちらも同じニュアンスな言葉もいくつか見出せます。
それを考えると、ただまっすぐなハッピーエンド。と言うわけではなく、傷つきながらも、スキを見つけていくように思えます。
OPは女性的、EDは男性的というのでしょうか。
OPには、銀子と紅羽の幼少期過ごした、甘く・優しく・柔らかい時間を感じながら、それがあるからこそ、見つけて欲しいという、切なる願いを感じます。女性的な優しさや、柔らかさ。でもその根底にある、強さ。あなたと一緒に未来を見たいんだ。というもの。
EDは、自身の強い信念や、思いを貫こうとするものと、その想いの刹那さと儚さ、そして覚悟を感じたりします。
でもどちらも、ただただ「スキなんだよ」と言うのが、伝わってきます。
そのスキの形でなんであれ、その相手に対しての願いや想いがこめられているのかなぁ?と感じたり。
ホンモノはスキだけなのか。その存在自体を「承認」されて「証明」できるのか。
神話と言うと、有名な所ではギリシャ神話などが思い浮かびますが、神話がこれほど、長きの間、人々の手によって語り継がれるということは、きっと普遍的な「共通性」や「共感性」があるのだと思います。だれもが、感じえられる事。今こうして、生きている人々それぞれの生きている道も、その人たちの神話であるといえるのではないかな?と思ったりします。
彼女たちの行く末も、ここまでの物語も、全て神話。モノを語っているのかもです。
どこからアプローチしていけばいいのか、糸口が見えず、人魚姫?嵐が丘?神話?それとも、建物のモチーフとされているサスペリアやサイコ?と、堂々巡りをしていましたが、結局、どれも私の脳みそでは、消化しきれず終いでした。
未だにやっぱり、コレ!という考えに想い至っていません。
最終話が終わった段階で、しばらく考えて、ちゃんと考察できたらいいのですが…。今まで同様に、ただの感想にもならない、意味不明な文章をツラツラになりそうですが…。
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