撃つこのみ

[注意]  個人的感想です!

 

 

撃子さんとこのみ。

 

 

最終話で、この二人のシーンで感動なされた方はたくさん居られた様に思います。

私は実のところ、ある意味に置いてではありますが、怖さを感じていました。

今だから言える…。ではないのですが^^;

でも、あの時点では、このような事を書くのは凄く無粋に思えて、自分が感じた事を書くことを躊躇しました。

 私が感じたのは、なぜこのみを「メカ化」したんだろう。という点です。

当初、メカこのみを見たときは正直「嫌悪感」を覚えました。下衆すぎ!と。ですが、話数を重ねていくに連れて、見慣れてしまう怖さもありました^^;

 

 

ユリ熊嵐の中では、幾度と無く「虚構の世界」を提示してくださっていました。

それを彷彿とするワードも、いくつも見つける事が出来るかと思います。

 

その中で、メカという物の位置がどうであったのだろうか。と考えた時に、あのラストは凄くもやもやっとするのです。

監督ご自身は、何の考えも無くこのみを「メカ」になさったとは思えません。メカにした意味は必ずある筈。と私は思っています。

だとしたら、何故「メカ」にしなければならなかったのか。

 

 

このみは一度、心寄せる相手であるはずの蜜子の撃った銃弾によって「生」を失っています。メカで復活したのは、本来のこのみの姿ではありません。偽者でないにしろ、完全なホンモノ?とも言えるのかどうか…。

しかも、このみ自体はユリ(人間)側の操作の元に、動作をしています。

 操作するのは撃子。極端に言えば、支配する側・される側。という構図です。

ですがその関係にあっても、次第にではありますがこのみは自身の感情を持ち、ラストでは銀子や紅羽への攻撃を自らの意思で、やめてしまった様に見えます。しかも銀子と紅羽がお互いに心ふれあい、約束のキスを果たした姿を見て涙しています。それに共鳴したかのように、撃子も攻撃意欲を失ってしまっていました。

そんな状態でしたから、ユリ(人間)側からその後、動作不良と張り紙をされて、処分されたこのみ。そのこのみを見つけて、抱きしめる撃子。

 

ホンモノの好きは、そこにはあるのでしょうか?

 

人は物に執着心を抱きますし、愛着も覚えます。

ましてや、自身が操作していたものに対して、他の者が不必要のレッテルを貼ってしまうと、余計に執着心を燃やしてしまう一面もあるようには思うのです。

ですが、私が怖さを感じたのはそこではなく、このみが「メカ」であった事。そして12話まで見せられてきた「虚構の世界」という事のワードが、がリンクした事。

このみは、肉体をもう持ちえていません。銀子と紅羽は「種族の差」という大きな壁を越えました。ヒトだろうがクマだろうが、関係ない。お互いがお互いを必要とし、お互いの価値観を受け入れ、共有する事で。

撃子とこのみは、種族の差という壁と主従関係という壁、そして…肉体を持つものと、そうでないもの、モノとヒト。という構図を築いています。

ここで、メカこのみを「モノ」とするのも、少し躊躇はするのですが><

 

本当の意味でのあのラストは、このみが「メカ化」したことにあったのだと思います。種族の壁だけではなく、色々な壁を提示なさってるのではないかな?と。

 

透明な嵐と、そうでないモノの間にも壁はありました。クマとヒトにも、もちろん壁がありました。壁というものは、どこにでも存在しえるのです。

モノを愛すると言う事は、ホンモノの好きなのか。なんだか私には、そう見えて仕方ないのです。そのモノの中には「インターネット」というものも、包括していると思います。ですので、打ち抜かれた好みの額の上には、インターネットの電源記号のようなボタンがあったのかな?と。

 

インターネットの中にもある恋愛。恋愛だけではなくても、その中にある友情、信頼、そういったものも「それはホンモノなの?」と、問題提起されている気がしてなりません。勿論、出会いがインターネットで,、その後恋愛関係に発展し素敵なご家庭を築かれているカップさんも、たくさん居られると思います。ですので決して、否定している訳ではありません。ただ、問題提起はなさっているのかな?と。それがホンモノだと証明する事が出来るの?と。そのためには、打ち破るものがあって、まずは触れあう事だよと。

ですが、恋愛の形は様々で、プラトニックなものもあります。

それの否定をしている訳でもなく、こういう恋愛の形としての物語。その中にあって、じゃあこういう形なら、どうなるかな?という提示なのだと思います。

 

今の時代、対人ではなく、二次元嫁(このあたりは私は詳しくないので、書かないほうがいいのかもですが><)と呼ばれる二次元世界に存在しているキャラクターを、寵愛なさっておられる方も居るとよく聞きます。

それは個人の自由ですし、決してその事を否定している訳ではありません。

それはそれで(個人的意見ではありますが)私は良いと思っています。ですが、それを第三者に「ホンモノ」ですよと証明したり、ましてや、お互いが実際に触れあう事はできるのか?となると、また違った次元のお話になると思うのです。

空想の中で完結できる関係であるものを、現実世界に持ってきてとやかく言うのは、どうかしてる!ってなるとは思うのですが><

でも、要はそう言う事も含め「ホンモノの好き」って何なの?ってことを、物凄く考えさせらるラストだったと思うのです。

 

あのラストが、もし、メカこのみではなく、生あるクマのこのみであったのであれば、私の受け止め方も違ったと思います。

 

このあたり、本当物凄く高レベルと申しますか、信じられないくらいのレベルでまとめられていると思うのです。ぐだぐだしている訳でもなく、メカこのみを出してきて、物凄いインパクトを与え、ラストはあの形に持っていく。そこに無駄はひとつもありませんでした。その上、仮にではありますが…。あたしのようなひねくれた者が見たとき、問題提起なの?!と感じられるように出来ています。

 

撃子が、銀子と紅羽に感化されたとするならば、彼女自身はこのみと今後、どのような道を歩むのでしょうか?

ずっと二人で居る世界なのでしょうか?どういう関係を築いていくのでしょうか。

お互いの価値観を受け入れる事が、出来るのでしょうか?

 

撃子がメカ化?するのでしょうか?なんだか、映画:永遠に美しく…。みたいになってしまいそうですが^^;

その先にあるだろう未来が、二人にとってどういう形になるのか。考えると怖さを感じずに入られません><

 

そしてもうひとつ、モノは大事に使おう!ってことを、物凄く感じました…w

動作不良だからと言って、ポイ捨てされたこのみ。可哀想です。不憫です。撃子さんは、そんなこのみを拾ってくれました。見つけてくれました。モノへの愛着、大事さ。

 

 

 

なんだかぐだぐだと書いてしまいました><